折々の記 90

 どうする !


 
 年の暮れに膀胱癌と腎盂癌の手術をうけて一週間ほどで退院しましたが、その二日後に急性の腎盂腎炎になって緊急入院することになりました。

  とにかく体がだるくて動くのもおっくうでグッタリしていました。

  あいにく日曜日でしたが、熱は38℃を超えて食事もとれなかったので妻が病院にかけあって連れていってくれました。

  行ってみると敗血症になりかけて危険な状態だったらしく、それから十日間はベッドに横たわって抗生物質の点滴です。


  癌の手術が終わった直後の感染症だったのでかなり堪えましたが、人間は終わりが近づくと苦しさよりも手を動かすことさえおっくうになることがよくわかりました。


  ところで医師は、癌を見つけることに仕事の生きがいを感じるらしく、あやしい腫瘍は一応全部とることを旨としています。

  最終的には細胞片を検査にだして白黒をつけますが、前回などは膀胱の八ケ所を切除したうち癌は一か所のみ。それでも癌があったことには違いないと医師は胸を張ります。

  そして今回は『腎盂癌らしきものは一ミリ程度で大きさは一年間、変わりませんが、見てみるついでに小さなメスでこそげとってみました。』という。

  最新の手法でチャレンジしてくれたらしい。


  それでも『貴方は癌ができやすいのでいずれ腎臓をとらないといけなくなりますね』と言われ、『腎臓をとっても人工透析で生きられますから』と なぐさめにもならない気休めの言葉。


  医師は多くの症例をみてきただけに先々がわかるのか、次回の診察のときに今後の方針を決めたいという。

  こちらとしてはたとえ癌であっても腎臓の摘出は御免こうむりたいし、万一再発しても自然に任そうという気持ちの方に傾いています。

  それに癌で死ぬよりも何度か発作を起こしている心筋梗塞の方が早いかもしれません。

  癌でいくのか心臓でいくのか、はたまた寿命がつきるのが早いのか。
 
  ここへきていくつかの死に方を選択できるとは思ってもみませんでした。


 なお、今回の入院生活では看護師によるいたりわりの気持ちが異様につよく感じられ、そのぶん自分が老人であることを自覚させられました。

  日頃は五十代や六十代と変わらない気分でいたのですが、『お歳の割にはしっかりされていて』 という言葉の裏には、誉め言葉ではあっても十分な老人が前提になっています。

  他者と接してようやく年老いた自分に気づいた次第。

  そんな自分に、いつまで生きるつもりなのかと問うてみたところ 『あまり抗わず自然に任せてはどうか』という返事。
 

  まあ、医師の勧めも参考にしながら、適度なところで幕を引きたいと思います。