折々の記 82

ソメイヨシノと薄墨桜


  四月の上旬に桜が満開を迎えました。日頃は目立たない桜ですが、この時ばかりは山も谷も川の土手さえもピンクの霞がたなびくように彩られ、その存在を主張してきます。



  花の一輪一輪は花芯の紅色がうすく滲み、花が集まるとあかるい桜色をあたりに放ちます。その色彩や花のボリュームはソメイヨシノの大きな魅力になっていて、日本の桜のほとんどがこの種類であることはよく知られています。


              ソメイヨシノの花
  一方、山の中にポツンと一本だけ白っぽい花を咲かせているのはヤマザクラといわれる古いタイプのサクラです。ソメイヨシノがうまれる江戸時代後期まで、桜といえばヤマザクラでした。

  ところが古来から、日本の伝統色である桜色(さくらいろ)は、うす紅色とされ、紅花(べにばな)または蘇芳(すおう)を使って淡く染められています。
  つまり、桜色はヤマザクラの白さではなく、後世になってその色を持ったソメイヨシノが出現したことになります。

  ところで、桜色に檳榔樹(びんろうじゅ)の染料をうすく重ね染めして鉄媒染すると'薄墨桜'(うすずみざくら)、別名桜鼠(さくらねずみ)という色になります。色調は淡い紅色に灰色がかかり、わずかにくすんだ薄い桜色をしています。

  この薄墨といえば当地松山の銘菓・薄墨羊羹が頭にうかびます。
虎屋の羊羹に比べると甘さは控えめでやわらかく、色は普通の羊羹と同じ黒茶です。どこが薄墨なのかよくわかりませんが、命名のもとになったとされる薄墨桜が咲いているというので訪ねてみました。

  道後温泉から車で北に向かって山道を20分ほど行くと道路沿いに西法寺という山門があり、入っていくと小さなお寺がありました。


               西芳寺の入り口


       薄墨桜が植わっている境内  石の囲いの中に薄墨桜があります          
  聞けば、その昔、道後温泉をおとずれた天武天皇が皇后の病気平癒の祈祷をお寺に依頼したところ、皇后がほどなく全快されたのでお礼に綸旨(りんじ)と桜を賜ったとか。

  綸旨とは'薄墨'という和紙の再生紙を用いた天皇の手紙のことのようです。つまり紙の名前です。桜はその和紙の名にちなんで薄墨桜とよぶようになったそうです。

  ただ、天皇が頼りにされるほどの立派な寺院には見えないので不思議に思っていると、聞けば裏山には七堂伽藍を有する本来の西法寺があって、それが秀吉の四国討伐で焼失したため、麓にある支院を本院として使っているとのこと。

  目的の桜は小さな境内に植っていました。薄墨桜といっても花の色が薄墨色をしているのではなく、白さが特徴のヤマザクラに似ています。

  ただ花びらの形は異なり、花弁の先がピンと張った八重なので菊の御紋のような印象です。

  朝廷から贈られた桜だけに気品を感じさせますが、全国に同じ桜は残っていないらしく、学名も'伊予薄墨'とつけられています。

  これまで千三百年あまりにわたって、伊予の片隅でひっそりと守りつづけてきた薄墨桜なので、京都紫宸殿にある左近の桜を植えかえる際には、この桜の苗をお返ししてもいいのではないかと、そんな気がしました。


                 薄墨桜の花