折々の記 29

宿 直

   松山から山の中を南へ向かう道を行くと一時間ほどで少しひらけた盆地にでます。 大洲藩5万石とその支藩の新谷藩があった大洲盆地です。 盆地の入り口にある新谷(にいや)の街を通り過ぎると、すぐに松ケ花という交差点にさしかかります。そこを右に行くと瀬戸内海になり、左に行くと四国山脈を経て高知県に至ります。交差点を左に少し進むと右手に開けた空き地が見えてきます。 かつて県の蚕業試験場があったところです。 目の前に神南山(かんなんざん)がせまり、右手は富士山(とみすやま)の山裾がせまる狭い扇状地にあって、かつては桑園と蚕を飼育する施設が立ち並んでいました。
   東京から愛媛に就職して最初に赴任したのがこの試験場です。当時は人家もまばらで店もないので下宿は国鉄の駅の近くに構え、ここへは自転車で田んぼや峠を越えながら通っていました。夏の頃は汗だくになり、冬の間は濃い霧や北西の風にさらされてずいぶん鍛えられました。
   当時、試験場では宿直といって職員が交代で建物に泊まり込む仕組みがありました。宿直室は二階建ての本館の一階隅にあり、四畳半の畳部屋に小さな炊事場がついていました。泊まれば僅かながら手当も出たのですが、夜中に広い敷地を見回らねばならず、年輩の人たちには敬遠されていました。 新任で若くて独身となれば頼まれて交替することも多く、そうしたある日のことでした。
   夜中の 2 時過ぎにふと目がさめると外で小さな明かりが動いています。職員の誰かが蚕の様子を見にきたのかと思いましたが、光は自分の車があるあたりです。 カーテン越しにソッとのぞくと誰かが車に乗りこんでいます。どうやら懐中電灯で車内を物色しているようですが、こんな辺鄙なところで泥棒なんかいないだろうと思って、声をかけてみたのです。  『なにか御用ですか ? 』
   いま思えば間の抜けた質問でした。でも暗闇で突然声をかけられたのでくだんの泥棒もびっくりしたのでしょう。 『すみません すみません』 と叫びながら桑畑の中を脱兎のごとく逃げていきました。 暗闇の桑畑は、強い枝が広がっていて歩くだけでも危険です。追いかけるなんて、もってのほか。 あっけにとられて眺めていましたが、幸い盗られたものはなかったのでそのまま寝てしまいました。
   すると数日後、警察がやってきました。くだんの泥棒がつかまって入った場所を洗いざらい白状したので確認のために来たというのです。その際『ここでは何も盗らなかった。車を物色していたら地の底から呼ばれたような声がして怖ろしくなって必死で逃げた』 と供述しているようです。 目の前の警官は盗難届を出さなかったことに不機嫌だし、自分に宿直を頼んだ上司は報告がなかったといって怒っています。
   被害を未然に防げたからよいだろうと思いましたが、泥棒の供述には大いに憤慨しました。当時、声には自信があって飲み屋などで歌うと低音の魅力といわれて人気があったのです。だから「地の底から呼ばれたような声」とは失礼千万な話です。
   ところがそれから三十年ほどたち、ある時、頼まれて講演した録音を聞く機会がありました。 初めは話しているのが誰の声だか分からなかったのですが、話の内容からすると自分しかありません。でも、そんな低い声には聞き覚えがないのです。
  たしかに、これまで自分の声を自分以外の耳で聞いたことはありません。自分の耳で聞く声がそのまま伝わっていると思っていましたが、どうもそれは違うようです。 年を経ても声はあまり変わらないので、かつての泥棒が『地の底からの呼ばれたような声』 といったのも仕方ないかもしれません。あのとき、 もう少し声のかけ方に工夫があってもよかったかもしれない、と思いました。