タニシの親方
田植えが終わって一と月ほどがたち、苗は雨の中を元気に育って分けつを始めています。
ところが、なかに植えたはずの苗がきれいに無くなっている田んぼがいくつかみられます。
よくみるとイネの茎や近くのコンクリートの畦畔にはオレンジ色の塊がついています。ジャンボタニシの卵です。別名、スクミリンゴガイといわれる淡水系の巻貝で、タニシの親方のように大きいのです。
オレンジ色のジャンボタニシの卵が固まって産みつけられています。右に見えるのが
ジャンボタニシの成貝です。
ジャンボタニシに苗を食べられた田んぼです。ポツポツと石のように見えるのが
貝です。
この巻貝は水中でイネの茎を切り取ったのち葉を引き込んで食べています。植えたばかりの小さな苗は、たちまち食べ尽くされてぽっかりと穴があいたようになっています。
しかも一つの田んぼで増えると水路を通じて周りの田んぼへすぐに広がるため、とてもやっかいなしろものです。
駆除するには卵を見つけたらかき落として水中に沈めればよいのですが、あまりに多いのでとても手がまわりません。
地域でまとまって駆除剤を播いていますが、なかに散布もれの田んぼがあったりすると効果は半減してしまい根絶は難しいのです。
通常、田植えをして二週間くらいまでの柔らかい苗が被害を受けるのですが、イネが成長して茎が硬くなればかみ切れずに被害は収まります。イネを食べられなくなったタニシの親方は仕方なく水田の雑草や泥を食べています。
この貝にはエラ呼吸と肺のような器官があってどちらでも呼吸できるため、水中でも地表でも生きておれます。だから冬のあいだは成貝の状態で田んぼの土の中で過ごしています。
ですから、冬に田起こしといって土を起こして寒気にさらせば、かなり数を減らせます。ジャンボタニシは寒さに弱いので多くが死滅してしまうのです。
でも多くの農家は冬場に田んぼの作業をしたがらないので、貝はいっこうに減らないのです。
ところで子供のころのイネの害虫といえばウンカとイナゴでした。ウンカは茎から汁を吸ってイネを枯らし、イナゴは葉をかじって生育をとめてしまいます。
ウンカはちょうど梅雨明けころに中国大陸からジェット気流にのって九州に飛んできて西日本に広がります。一方、イナゴは稲の子と書くようにイネに多くみられる小型のバッタで、国内に棲息しています。
イナゴで思い出すのは小説'坊ちゃん'です。
松山中学に赴任してきたばかりの坊ちゃんが宿直をしていると、生徒たちが布団の中へイナゴを隠しいれて大騒ぎなります。
坊ちゃんは生徒たちを呼び出して『なんでバッタなんか、おれの床にいれやがった』と怒ると、
生徒は『バッタ、何ぞな』というので、小使いにもってこさせたバッタをみせて『これがバッタだ! 大きな図体をしてバッタもしらないたぁ なんのことだ』というと
一番左にいた丸い顔のやつが 『そりゃ、イナゴぞな、もし』と言う。
ぼっちゃんは 『べらぼうめ、イナゴもバッタも同じものだ それに先生を捉まえて なもしとぁなんだ。菜飯は田楽の時のほかに食うもんしゃない』と怒ります。
これから考えると関東ではイナゴとバッタは同じであり、愛媛ではイナゴとバッタは別物だったのです。
このほかに少なくなりましたが、ツマグロヨコバイも病気を媒介するのでイネの害虫としては要注意でした。夜になると明かりによってきて腕などをチクッと噛んだりするので往生しました。本当は口吻で刺しているのですが。
こうしたイネの害虫を追い払うために昔は6月末に虫送りの行事がありました。
夕暮れに松明をもって集まって藁で作った実盛人形を担ぎながら田んぼのまわりを練りあるき、最後は近くの川に人形を流しました。別にこれでイナゴを退治できるわけではありませんが、豊作祈願の行事の一つでした。
今では農薬を使うことでこれらは駆除できるようになり、水田被害の主役は虫からジャンボタニシに移っています。
このタニシの親方はもともとエスカルゴのような貝料理に使うために台湾から入れたと聞きましたが、繁殖力が旺盛なこともあって逃げ出すと一気に広がり被害を広げています。
外来生物はときに日本の風土に適応して異常に繁殖することがありますが、セイタカアワダチソウのようにいつのまにか目立たなくなってしまいます。
日本のような多様な環境においては、それを抑制する力が働いてそのうちに突出しなくなるのかもしれません。とすれば、いずれジャンボタニシにもそうした運命が待っているのでしょう。
『主役は長く続かない』というのは、長く虫の研究に携わってきた朋輩の退職記念講演でした。
そんなことを思い出しながら、田んぼのまわりで渦巻いている蚊柱の中を歩いています。
田植えのあと一と月目のイネの生育
苗を食べつくしたジャンボタニシたち
田植えが終わって一と月ほどがたち、苗は雨の中を元気に育って分けつを始めています。
ところが、なかに植えたはずの苗がきれいに無くなっている田んぼがいくつかみられます。
よくみるとイネの茎や近くのコンクリートの畦畔にはオレンジ色の塊がついています。ジャンボタニシの卵です。別名、スクミリンゴガイといわれる淡水系の巻貝で、タニシの親方のように大きいのです。
オレンジ色のジャンボタニシの卵が固まって産みつけられています。右に見えるのが
ジャンボタニシの成貝です。
ジャンボタニシに苗を食べられた田んぼです。ポツポツと石のように見えるのが
貝です。
この巻貝は水中でイネの茎を切り取ったのち葉を引き込んで食べています。植えたばかりの小さな苗は、たちまち食べ尽くされてぽっかりと穴があいたようになっています。
しかも一つの田んぼで増えると水路を通じて周りの田んぼへすぐに広がるため、とてもやっかいなしろものです。
駆除するには卵を見つけたらかき落として水中に沈めればよいのですが、あまりに多いのでとても手がまわりません。
地域でまとまって駆除剤を播いていますが、なかに散布もれの田んぼがあったりすると効果は半減してしまい根絶は難しいのです。
通常、田植えをして二週間くらいまでの柔らかい苗が被害を受けるのですが、イネが成長して茎が硬くなればかみ切れずに被害は収まります。イネを食べられなくなったタニシの親方は仕方なく水田の雑草や泥を食べています。
この貝にはエラ呼吸と肺のような器官があってどちらでも呼吸できるため、水中でも地表でも生きておれます。だから冬のあいだは成貝の状態で田んぼの土の中で過ごしています。
ですから、冬に田起こしといって土を起こして寒気にさらせば、かなり数を減らせます。ジャンボタニシは寒さに弱いので多くが死滅してしまうのです。
でも多くの農家は冬場に田んぼの作業をしたがらないので、貝はいっこうに減らないのです。
ところで子供のころのイネの害虫といえばウンカとイナゴでした。ウンカは茎から汁を吸ってイネを枯らし、イナゴは葉をかじって生育をとめてしまいます。
ウンカはちょうど梅雨明けころに中国大陸からジェット気流にのって九州に飛んできて西日本に広がります。一方、イナゴは稲の子と書くようにイネに多くみられる小型のバッタで、国内に棲息しています。
イナゴで思い出すのは小説'坊ちゃん'です。
松山中学に赴任してきたばかりの坊ちゃんが宿直をしていると、生徒たちが布団の中へイナゴを隠しいれて大騒ぎなります。
坊ちゃんは生徒たちを呼び出して『なんでバッタなんか、おれの床にいれやがった』と怒ると、
生徒は『バッタ、何ぞな』というので、小使いにもってこさせたバッタをみせて『これがバッタだ! 大きな図体をしてバッタもしらないたぁ なんのことだ』というと
一番左にいた丸い顔のやつが 『そりゃ、イナゴぞな、もし』と言う。
ぼっちゃんは 『べらぼうめ、イナゴもバッタも同じものだ それに先生を捉まえて なもしとぁなんだ。菜飯は田楽の時のほかに食うもんしゃない』と怒ります。
これから考えると関東ではイナゴとバッタは同じであり、愛媛ではイナゴとバッタは別物だったのです。
このほかに少なくなりましたが、ツマグロヨコバイも病気を媒介するのでイネの害虫としては要注意でした。夜になると明かりによってきて腕などをチクッと噛んだりするので往生しました。本当は口吻で刺しているのですが。
こうしたイネの害虫を追い払うために昔は6月末に虫送りの行事がありました。
夕暮れに松明をもって集まって藁で作った実盛人形を担ぎながら田んぼのまわりを練りあるき、最後は近くの川に人形を流しました。別にこれでイナゴを退治できるわけではありませんが、豊作祈願の行事の一つでした。
今では農薬を使うことでこれらは駆除できるようになり、水田被害の主役は虫からジャンボタニシに移っています。
このタニシの親方はもともとエスカルゴのような貝料理に使うために台湾から入れたと聞きましたが、繁殖力が旺盛なこともあって逃げ出すと一気に広がり被害を広げています。
外来生物はときに日本の風土に適応して異常に繁殖することがありますが、セイタカアワダチソウのようにいつのまにか目立たなくなってしまいます。
日本のような多様な環境においては、それを抑制する力が働いてそのうちに突出しなくなるのかもしれません。とすれば、いずれジャンボタニシにもそうした運命が待っているのでしょう。
『主役は長く続かない』というのは、長く虫の研究に携わってきた朋輩の退職記念講演でした。
そんなことを思い出しながら、田んぼのまわりで渦巻いている蚊柱の中を歩いています。
田植えのあと一と月目のイネの生育
苗を食べつくしたジャンボタニシたち