ツバキ・椿・海石榴
気がつけば暦(こよみ)は二月、如月(きさらぎ)です。二十四節気では2月3日の節分をもって大寒が終わり、4日からは立春に入ります。
立春は春の始まりを意味します。昼が最も短い冬至(12月22日)と昼夜が同じ長さの春分の日(3月20日)のちょうど中間日を立春にしていると聞き、なるほどと思います。
とはいっても、冷えきった大陸の空気がやってくるので、実際は厳しい寒さが続きます。
そんな寒さの中でも鮮やかな花をつけるのが寒椿(かんつばき)です。市内の高台にあるツバキ園では寒椿が花を咲かせていました。
通常のツバキよりも早めの一月から咲き始め、二月の寒中に咲きほこるので寒椿とよばれています。花の形は八重咲のものが多く、一見すると山茶花(さざんか)と見まちがるほど似ています。
それもそのはず、山茶花もツバキの仲間です。が、こちらは年内から咲き始め、花は八重咲のものが多く、花びらがハラハラと散るのが特徴です。一方、ツバキは二月から咲き始め、花は筒状のものが多くてそのままポトリと落ちてしまいます。
寒椿は山茶花とツバキが自然に交配して生まれた種類なので、両者に似ていても不思議ではありません。
そのツバキですが、昔から枝や木を燃やした灰は、染色における媒染剤として使われてきました。媒染は布を染料で染めたのちに色をしっかりと固定させるための処理のことです。
使用するにはツバキの灰40gに熱湯2gを注いで2日置き、上澄み液を濾して使います。灰汁からはプラスのアルミニウムイオンが遊離し、て繊維に吸着している色素のマイナスイオンと結合し、安定するため色落ちがしにくくなります。
この手法は奈良時代から使われていたらしく、万葉集には『紫は灰さすものぞ海柘榴市(つばいち)の 八十の衢(やそのちまた)に 逢える児(こ)や誰(だれ)』という歌が残っています。
歌の意味は、『私の問いに答えてくれたなら、灰を加えて紫に染まるように貴女も一層美しく彩られるでしょう。海柘榴市で出会った貴女は誰ですか?』といった感じでしょうか。
この当時には、すでに紫色は紫根(しこん)で染めたうえにツバキの灰汁を加えることで美しく染まることが知られていたのです。
なお、海柘榴市(つばいち)という町の名は、市が立つ場所にご神木のツバキの木があったことからツバキイチと呼ばれ、それがなまってツバイチになっています。海石榴(つばき)がツバキの灰であることの掛け言葉になっています。
ところで、二月十六日から松山にある伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)神社では椿祭りが開かれます。 毎年、伊予路に春をよぶお祭りとしてにぎわいますが、この祭りを過ぎると寒さはゆるみはじめます。
多くの出店が参道沿いに立ち並ぶこのお祭りは、その昔、境内にある椿の花のもとで市がたったことから、椿祭りと呼ばれるようになったといわれます。
寒中に鮮やかな花をつける椿には、時代を問わず地域を問わず市がたつように、人々をひきつける何かがあるのでしょう。
春までもう少しです。
寒 椿
山茶花
藪 椿