折々の記 103

森羅万象に神やどる

 世の中にはいろんな宗教観をもった人たちがいますが、私には特に何かを信仰するといった対象がありません。

 宗旨の上からいえば一応、神道であり、それも鹿児島の神道です。

 明治維新のときに藩主の島津久光公が仏教をやめると決めた結果、それに従ったもの。殿様が右向け右というので従ったまでのこと。勤王なら神道であり、佐幕なら仏教という単純な理屈でした。

 ですから宗旨というほどの真摯なものではありません。お正月には神社に初詣でにいき、暇なときには京や奈良のお寺を巡り、結婚式は神道であげるといったような、よくあるパターンです。
 
 そのため、神社に行けばお賽銭をあげて二礼二拍手一礼くらいはするし、お寺にいけば南無阿弥陀仏と唱えたりもします。

 そして多くの人はこれと似たようなものだと思っていたのですが、少し変わった女性がいたのです。

 その人は亡くなった人と夢の中で会って話しをすることができるうえ、いわゆる霊の存在を感じるというのです。

 先日もご本人が手術で入院していたら病室の鏡の前で髪をとかしていた時のこと。急に霊が近寄ってきたというのです。

 視覚的に姿が見えるわけではなく、気配でそれが男か女か、若いか年配か、髪型や背格好、服装までわかるらしい。さらには、その霊が危害を加える類のものかもわかるといいます。

 そんな不思議な能力をもつだけに、ご本人は古いホテルや旅館に泊まるのをいやがります。

 それに古刹のたぐいや深山幽谷にある社なとを訪ねるのも避けています。『悪いものが潜んでいる』と言ったきり、足が前に進まなくなったりするのです。

 もし悪い霊に憑依されたら自分の力で除けないから、というのがご本人の弁。

 また、眠っているうちに見る夢には色彩があり、手でさわった感触さえも残るといいます。

 ある時は、三途の川をわたって亡くなった私の父親に会ってきたと言い、『父が背中に石を載せて腰を曲げながら笑顔で歩いてきたよ』というのです。

 その話を伝え聞いた母親はすぐに墓地に飛んでいき、榊を差し入れる石穴につめこんでいた小石をとり出したと、あとで連絡してきました。

 そんな彼女がここ数年、日課にしているのが、毎夕の海岸でのゴミ拾いです。

 海岸には、瓶やガラスの破片のほかぺットボトルや空き缶などが流れ着きます。瀬戸内だけにハングルや中国語によるラベルのものはありません。

 近くの川に日課のように捨てる人がいるので、拾っても拾ってもきりが無さそうです。

 捨てる人を捕まえてやめさせない限り終わらないと言うのですが、 『見つかればおそらく他の川に捨てに行くでしょう。それなら自分がいるこの海岸で拾ったほうがいいから』と。

 それに『拾える量は限られるけど、わずかでも拾えばその分だけでもきれいになるからね』。

 そして、拾いおわると必ず『海の神様、空の神様、風の神様、ありがとう』と感謝の気持ちを口にして家路につくのです。

 まるで森羅万象に神が宿るといった神道の原型のようであり、原始宗教とかアミニズムの世界です。

 こうした精神性は戦後、廃れてしまいましたが、古き日本には自然に対する畏れや敬いが息づいていました。

 彼女の人生においてこの種の宗教観にふれる機会はなかったはずですが、自身に霊的な感覚が備わっていたので、それが影響したのかもしれません。
 
 翻って私にはその手の能力は欠片もなく、それに霊とか霊魂とは無縁です。敢えて言うなら、神様や仏様はお願いするためにあるもの。
 
 そんな不信心な私でも、自然の中で人間が生きていくには自然に対して謙虚な心で接することが必要だし礼儀だと思っています。

 それは多くの日本人の意識の底流にある自然への『畏れ』や『敬い』とそう変わらないでしょう。

 それゆえ、毎夕の海岸清掃には足腰の痛みをおして参加しています。