狼さまの神社
春になるとわずかの間ながら、桜の花が山々を薄いピンク色の霞がかったように浮き立たせます。いつもは山の木々に埋もれている桜の樹ですが、この時ばかりはいたるところで咲き誇り、その存在を主張しています。
そんな桜がひと段落したころに、今回は隣町の山奥にあるオオカミ様の神社といわれる木野山(きのやま)神社を訪れてみました。
神社といえば鳥居の横に狛犬が座っていたり、稲荷神社なら狐が座っていたりするものですが、この神社では二ホンオオカミが社殿のなかで神域を守っていました。
ニホンオオカミといえば、かつては全国に生息していましたが、明治38年ごろに絶滅して今ではその姿を見ることができません。
残されたオオカミの剥製(はくせい)をみると、大きさは中型の日本犬くらい。やさしい顔つきで、とても西洋の邪悪なイメージ像とはかけ離れています。
神社の眷属(けんぞく)になったオオカミ様は少し細身で怖そうな表情をしていますが、多分に人々が持ったイメージによるものでしょう。
こうしたオオカミ様の神社は埼玉県の秩父・三峯神社を筆頭に関東、東北、東山地方に多く分布していますが、不思議なことに西日本には岡山県と鳥取県の二つしかありません。
そのうちの一つが岡山県高梁市の木野山神社なので、ここの社は岡山県から勧請されたものなのでしょう。
岡山の神社と同じように高おかみの神と闇おかみの神を祭神としていて、その『おかみ』という名前が変化してオオカミになったようです。
語呂合わせによるオオカミでしたが、たしかにこの地域にはオオカミについての伝説や民話がありません。せいぜい登場するのはタヌキかキツネくらいです。
ただ一つ、松山から南予の山国に入る峠道に犬寄峠(いぬよせとうげ)という地名があります。その登り口の伊予市には、旅人や飛脚が山犬に襲われたという話があったり、鉄砲の名手だった畑の左衛門が山犬を退治したという伝説も伝えられています。
ここではオオカミを山犬とよび、峠の付近に群れが住みついていたので犬寄せと呼ばれたようです。ただ、人々の暮らしとはあまり接点がなかったように思います。
オオカミ様の神社が東日本に集中して存在している理由は定かではありませんが、昔から馬の産地が東日本に多くあり、しばしば被害を受けていたので人々から畏怖されていたことが原因しているのかもしれません。
また、東日本には古代より港から山中へ塩をはこぶための『塩の道』が張りめぐらされていて、それを運ぶ人たちが途中でオオカミに襲われたようです。
民俗学者の宮本常一氏によると、塩は牛六頭ほどにのせて運び、野営するときはオオカミの襲撃を防ぐために牛が輪になるように脚を内側にむけて寝かせ、人は輪の真ん中で火をたいて牛の腹へ体をすりつけて寝たといいます。
東日本ではオオカミが人の生活に近いところにいたうえに跳躍力や敏捷性にすぐれていたため、山の神の使いとして祀られるようになったのかもしれません。
ちなみに、全国のオオカミ様の神社に共通するのは流行り病(はやりやまい)に高い霊力があるという点です。
ただ残念なことに、オオカミ自身は西洋から入った狂犬病などの犬の病に罹病して、霊験むなしく絶滅しています。
それに今では、木野山神社の存在も知る人がほとんどいなくなりました。
ところで、木野山神社とおなじ敷地には天満神社の大きな牛の像がおかれていて、像をさわると病いが癒えるといわれます。
同じ神様の使いとはいえ、オオカミと牛が同居して病を治しているのも不思議な気がします。でも、ここはしっかりとお願いしておきました。

里山のあちこちでサクラが咲いています。

松山市堀江の木野山神社
同じ敷地にある天満神社の牛像
春になるとわずかの間ながら、桜の花が山々を薄いピンク色の霞がかったように浮き立たせます。いつもは山の木々に埋もれている桜の樹ですが、この時ばかりはいたるところで咲き誇り、その存在を主張しています。
そんな桜がひと段落したころに、今回は隣町の山奥にあるオオカミ様の神社といわれる木野山(きのやま)神社を訪れてみました。
神社といえば鳥居の横に狛犬が座っていたり、稲荷神社なら狐が座っていたりするものですが、この神社では二ホンオオカミが社殿のなかで神域を守っていました。
ニホンオオカミといえば、かつては全国に生息していましたが、明治38年ごろに絶滅して今ではその姿を見ることができません。
残されたオオカミの剥製(はくせい)をみると、大きさは中型の日本犬くらい。やさしい顔つきで、とても西洋の邪悪なイメージ像とはかけ離れています。
神社の眷属(けんぞく)になったオオカミ様は少し細身で怖そうな表情をしていますが、多分に人々が持ったイメージによるものでしょう。
こうしたオオカミ様の神社は埼玉県の秩父・三峯神社を筆頭に関東、東北、東山地方に多く分布していますが、不思議なことに西日本には岡山県と鳥取県の二つしかありません。
そのうちの一つが岡山県高梁市の木野山神社なので、ここの社は岡山県から勧請されたものなのでしょう。
岡山の神社と同じように高おかみの神と闇おかみの神を祭神としていて、その『おかみ』という名前が変化してオオカミになったようです。
語呂合わせによるオオカミでしたが、たしかにこの地域にはオオカミについての伝説や民話がありません。せいぜい登場するのはタヌキかキツネくらいです。
ただ一つ、松山から南予の山国に入る峠道に犬寄峠(いぬよせとうげ)という地名があります。その登り口の伊予市には、旅人や飛脚が山犬に襲われたという話があったり、鉄砲の名手だった畑の左衛門が山犬を退治したという伝説も伝えられています。
ここではオオカミを山犬とよび、峠の付近に群れが住みついていたので犬寄せと呼ばれたようです。ただ、人々の暮らしとはあまり接点がなかったように思います。
オオカミ様の神社が東日本に集中して存在している理由は定かではありませんが、昔から馬の産地が東日本に多くあり、しばしば被害を受けていたので人々から畏怖されていたことが原因しているのかもしれません。
また、東日本には古代より港から山中へ塩をはこぶための『塩の道』が張りめぐらされていて、それを運ぶ人たちが途中でオオカミに襲われたようです。
民俗学者の宮本常一氏によると、塩は牛六頭ほどにのせて運び、野営するときはオオカミの襲撃を防ぐために牛が輪になるように脚を内側にむけて寝かせ、人は輪の真ん中で火をたいて牛の腹へ体をすりつけて寝たといいます。
東日本ではオオカミが人の生活に近いところにいたうえに跳躍力や敏捷性にすぐれていたため、山の神の使いとして祀られるようになったのかもしれません。
ちなみに、全国のオオカミ様の神社に共通するのは流行り病(はやりやまい)に高い霊力があるという点です。
ただ残念なことに、オオカミ自身は西洋から入った狂犬病などの犬の病に罹病して、霊験むなしく絶滅しています。
それに今では、木野山神社の存在も知る人がほとんどいなくなりました。
ところで、木野山神社とおなじ敷地には天満神社の大きな牛の像がおかれていて、像をさわると病いが癒えるといわれます。
同じ神様の使いとはいえ、オオカミと牛が同居して病を治しているのも不思議な気がします。でも、ここはしっかりとお願いしておきました。

里山のあちこちでサクラが咲いています。

松山市堀江の木野山神社

同じ敷地にある天満神社の牛像