折々の記 97

お米の話しふたたび


 アメリカの大統領が『日本はお米に課している関税が700%もある』と不公平の象徴のように言っているのに対して、日本政府からの的確な反論はありません。

 あっても『関税はない』というわけのわからない談話です。

 この関税というのは国が輸入する物品等に対してかける税金のことです。

 これまで自由な貿易をすすめるために、アメリカを中心としてガットウルグアイラウンドやそのあとを継いだWTO交渉において加盟国は関税の撤廃にむけた交渉をしてきました。

 各国は自由な貿易を進めるうえで関税をかけて無制限な輸入を防いでいますが、その関税を減らしていこうというのです。

 ただ、国によっては自由化すらできていない品目があり、それは義務として一定量の無関税の輸入を行い、順次それを増やしていくことになりました。

 日本は当初、お米の自由化を拒んで42万dのアメリカ米を義務的に輸入しましたが5年後には77万dまで増えたために1999年に自由化へ移行しています。

 つまり関税をきめて自由な流通にしたのです。

 アメリカがいうのはその関税が700%もあるというのです。

 『実質的には輸入できない非関税の障壁を作っているではないか』というわけです。

 じつはそのとおりです。

 お米も自由化に踏みきったわけですが、実態としては輸入できないような高い関税で遮断しているのです。

 米の関税は1`あたり341円を課しているので60`あたりにすると約2万円です。

 これを関税率でいうと778%になります。

 当時の国産の米が60`あたり1万3千円。

 これに対して外国産米は7千円なので、関税の2万円が加わると輸入価格は2万7千円になります。国産米の約2倍です。

 これで国内の米生産は守れると判断したのでしょう。

 このときの関税額の計算には泡盛の原料で輸入したタイ産の砕けた米を使っているので通常の価格差よりもかなり大きく、関税率は高めになっています。

 でも、最近はお米の価格高騰を受けて国産米が60`2万円を超えはじめ、関税をはらっても業者が輸入を考える採算ラインに近づいています。

 ちなみにいま関税の計算をしなおせば、関税を100%に引き下げると国産米とアメリカ米の値段はトントンになり、このところの米価格の高騰を考慮しても150%あれば問題はないでしょう。

 同じ価格で競争すれば品質の高い国産の農産物は競り負けることはありません。

 かつてグレープフルーツやレモンの自由化に際しても結局、外国産は品質面で受け入れられませんでした。

 小麦についてもほぼ全量をアメリカやオーストラリアから輸入していますが、日本が求める小麦は品質が高いので極めて限られた地域でしか手に入りません。

 味に敏感な日本人は値段が同じであれば品質の高い国産米を選びます。

 問題は最近の10年でお米の農家が40万戸も減っていることです。

 今後はさらに急激なカーブを描いて減っていくため、とてもその分の生産を補うことはできません。補うだけの増産をできる力はないのです。

 つまり輸入による供給も視野に入れておかねばなりません。

 国は米の需要を年間の一人当たりの消費量と人口の推移から推計していて、ほぼ一次直線のように減っていますが、消費の減少がいつまでも続くわけではありません。

 いつかは底を打つでしょうし、ご飯を食べたいと思って増えるかもしれません。

 また、インバウンドによる米の消費増も加味しているようには思えません。

 そうした需要の見込みが狂えば、すぐに米不足につながります。

 これまでの需要に応じた計画的な生産という仕組みはそろそろ限界にきているのです。

 だとすると、減反政策の延長ともいえる計画的な生産からは脱却して、余力のある生産農家には思いっきり作ってもらって経営力を高めてもらわねばなりません。

 そのタイミングが遅れると、麦や養蚕のように衰退してしまいます。

 だから日本にとっての問題はいつそれに転換できるか、ということです。