蚕と絹のあれこれ 18

蚕と桑、繭の語源

   (蠶・かいこ)という言葉はどのようにして生まれたのでしょうか。よく言われるのは、神が下された虫(こ)という意味から神(かむこ)といわれ、それがなまって「かいこ」になったという話です。ほかには飼う蚕(こ)という言葉がなまって「かいこ」になったというのも有力です。
   蚕が伝わった弥生時代は言葉を表わす文字をまだ持っていません。日本古来からある大和ことばで蚕を「こ」とよび、蚕を飼うことを「こかひ(古加比)」または「こかひす」と言っていました。それが奈良時代になると「こかひ」が変化して「かふこ(養ふ蠶)になり、さらに蚕そのものを「養ふ蠶(かふこ)」とよぶようになって、「かひこ」、「かいこ」へと変化したと考えられています。その後、漢字が日本へ伝わると「かひこ」の発音に合った漢字を充てて加比古(かひこ)と表わしますが、中国では「かいこ」を意味する漢字が(蚕)だったので、の字を日本では「かいこ」と読むようになったのです。
   また、桑は蚕を飼うための葉っぱなので飼ふ葉(かふは)と呼ばれました。それがなまって「くは」そして「くわ」になっています。 万葉集には具波の字で書かれていて「くは」と読ませています。ちなみに万葉集は発音に合う漢字をそのまま当てはめる万葉仮名で書かれています。その後、中国から伝わった漢字の桑が「くは」を意味していたので、「くは」に桑の字を充てるようになり、その後なまって「くわ」と読むようになりました。
   そして「まゆ」ですが、「ま」には眞という意味があり、「ゆ」は色が白いという意味があって、「まゆ」は真っ白な…ということでしょう。繭の白さは比類なきものとして「まゆ」と呼ばれたのでしょうが、万葉集には「麻欲(まよ)」とあります。 つまり「まよ」がもともとの大和言葉であって、奈良時代以降に「まゆ」に変化したのではないかと思われます。
   蚕や桑、繭は一体のものとして呼び名も伝わったことでしょう。それを聞いた弥生人たちはそれを耳にしますが、中国語なので正しく伝わらなかったでしょう。だから「こ」や「くは」、「まよ」には古代中国語の痕跡が残っているかもしれません。 日本固有の大和言葉ですが、その成立には様々な国や地方の影響を受けているでしょうから。