蚕と絹のあれこれ 10

絹糸と生糸

   ある雑誌に、『江戸時代の絹織物には、経糸(たていと)が同じ場所で切れていたり、ごく弱い力を入れただけで多くの経糸が切れて布が横方向へ破断しているものが多くある。 これは経糸に生糸(きいと)が使われているので練絹(ねりぎぬ)よりも劣化の程度が大きいためだろう』とありました。
   機織りは隣り合う経糸(たていと)を上下に押し分け、その間に緯糸(よこいと)を通して交差させ、織っていくので経糸は緯糸よりも擦れ合う頻度が高くなり摩擦によって切れやすいのです。その経糸に『練絹ではなく生糸を使っているので切れやすい』というのです。
   正倉院の織物を再現に取り組んだ人たちは、『経糸にはほとんど撚(よ)りが掛かっていない生糸が使われていたうえ、練絹に比べて生糸の太さは半分ほどしかなかった。同じような糸を作って織ってみると、数センチも織らないうちに経糸が切れてしまって再現するのに随分苦労した』と話しています。
  昔の人は、なぜ練絹に比べて切れやすい生糸を使っていたのでしょうか。

  機織り機 針金製の綜絖を通る経糸(たていと)は一本おきに上下に分けられ、できた隙間に緯糸(よこいと)を通して織っていきます。

 機織りを始めるには、まず綜絖に経糸を通す作業から始めます。綜絖の目は1200ほどあります。
       繭から引き出した繭糸を8〜10本束ねてできた生糸です。        生糸を精練したのち藍でそめた練絹      無撚糸の生糸を藍で染めたもの 
   織糸の成りたちを見てみましょう。繭を煮て引き出した糸を繭糸(けんし)といいます。その繭糸を 8本から10 本束ねて一本にしたものが生糸(きいと)です。 生糸を10本ほど束ねたものが織物に使う絹糸(けんし又はきぬいと)です。糸の太さで比べると、繭糸が0.02_、生糸は0.16_、絹糸は
1.6_です。 絹糸はたんに生糸を束ねているだけでなく、1 bに300から1,000回ほどの撚(よ)りをかけています。 『撚り』とは糸同士をネジリ合わせる工程のこと。撚りの回数が多いほど糸は硬く、また強くなります。また、この撚った糸を撚糸(ねんし)といいます。
   撚りを加えた絹糸を純白にするためにアルカリ性の熱湯で煮ます。この工程を「練る(ねる)」とか「精練する(せいれんする)」とか言い、練り終えた絹糸のことを練絹(ねりぎぬ)とよんでいます。練絹は純白で柔らかくツヤがあって丈夫です。
   生糸を撚らずに精錬すると繭糸を束ねている糊の成分が溶けだしてバラけてしまい絹糸は毛羽(けば)だってしまいます。『撚り』は精錬によって糸が毛羽立つことを防いでいるのです。つまり練絹は生糸を束ねるので太いうえ、撚りを加えて丈夫になっているため経糸に使っても切れることがないのです。
   絹織物の多くは撚糸して精錬した練絹で織っています。いわゆる先練り(さきねり)の織物です。でも羽二重(はぶたえ)とか縮緬(ちりめん)のような後練り(あとねり)の織物もあります。後練りは経糸(たていと)に生糸を用い、緯糸(よこいと)に練絹を使って織ったのち精錬しているのです。 織りの工程では生糸には湿り気を十分に与え、部屋も加湿しながら注意深く織っていきます。この場合の精錬は先練りに比べて軽めにします。繭糸から糊状のセリシンが溶け出して織物全体をうすく包むようになるのです。この辺りは微妙な加減が必要です。そうすれば、のちの染色で染料による糸の損傷が抑えられるほか、染まりが具合が深くなるので微妙な色合いを出しやすくなります。それに練絹を使ったものに比べると柔らかくサラリとした質感に仕上がるのです。昔の人は切れやすい生糸をあえて使って高品質な絹織物づくりをめざしていたのでしょう。それだけ高い製織技術を持っていたとも言えます。