蚕と絹のあれこれ 15

天照大神と日本書紀


   日本書紀には、天照大神(あまてらすおおみかみ)が機織りをしていると、弟の素盞鳴尊(すさのおのみこと)が屋根に穴をあけたうえ皮を剥いだ馬を投げ入れたとあります。  馬は、斑(まだら)の毛並みをした斑駒(ふちこま)です。 素盞鳴尊(以下スサノオ)の乱暴な所業に驚いた天照大神(以下アマテラス)は、思わず機(はた)の梭(ひ)で体をついてケガをしてしまいます。神様にしてはとても人間的ですが。
   織機(おりき)は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交差させながら織っていきます。問題の梭は、経糸に緯糸を通したあと強く手前に打ち込んで織糸を締めかためる道具です。堅いカシやサカキの木で作られて、刀の形に似ているので刀梭(とうじょ)とよばれます。
   実際に機を織っていたのは妹の稚日女尊(わかひるめのみこと)だったとも、織りを専門におこなう天衣織女(あめのみそおりめ)だったとも言われ、織機から落ちた拍子に梭で傷ついて亡くなったという解釈もあります。
怒ったアマテラスは天岩屋(あまのいわや)に隠れてしまい、世の中が暗闇に覆われた'天岩戸(あまのいわと)事件'に発展するのです。
  最も古い織機は、弥生時代中期の原始機(げんしばた)で、弥生機(やよいばた)ともよばれます。 経糸を巻きつけた棒を立ち木などに結びつけ、織り手は地面に腰を下ろして身体で引っぱりながら織ります。持ち運びできる簡単なつくりで織具などを固定した機台(はただい)は無く、刀梭は手に持って操作します。
   それが 5世紀の古墳時代になると、機台ができて座って織れる地機(じばた 別名:傾斜機)が登場します。刀梭は筬(おさ)とよばれる織具にかわり機台に固定されます。古墳時代後期になると全ての織具が機台に固定された「絹機(きぬばた)」になり、こんにち目にする織機に近いものになります。
   アマテラスが斎服殿(いみはたどの)という建物で機織りをしていたことや驚いて落ちた点を踏まえると機台に座って織っていたわけです。すると地機か絹機(きぬばた)のようですが、刀梭は筬(おさ)になって機台に固定されているはず。身体を突くことはなかったでしょう。いささか矛盾していますが、日本書紀に矛盾はつきものです。
   出雲の国で馬を扱っていたスサノオに対して日向の国で養蚕や機織りをしているアマテラスは、騎馬民族と農耕民族とを対比しているようにも思えます。スサノオの傍若無人な行動によりアマテラスが天の岩屋へ隠れるのは、騎馬民族が農耕民族を制圧したことを示唆しているかもしれません。
    一説によれば西暦 173 年に、鉄器と騎馬で武装した出雲のスサノオが九州に攻め込んで日向の国を平定しています。スサノオはアマテラスの助けを借りて九州全土を平定します。スサノオの子供の饒速日尊(にぎはやひのみこと)は跡を継いでさらに瀬戸内海を通って大和を攻めます。地元を治めていた長髄彦(ながすねひこ)を下し、妹の三炊屋姫(みかしぎひめ)を妻にして近畿を平定し、大和朝廷のいしづえを築いたといいます。
   天照大神は大日霊女貴尊(おおひみこむちのみこと) と呼ばれます。大(おお)は尊称で、貴尊は敬称なので名前は日霊女(ひみこ)です。日霊女(ひみこ)と邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)が似て非なるものかどうか。
古代はミステリーに満ちています。