絹の語源
「きぬ」を表す漢字には、「絹」のほかに伎奴(きぬ)、伎沼(きぬ)、衣(きぬ)、帛(きぬ)縷(きぬ)、幣(きぬ)と数多くあります。こんなに多くの「きぬ」の漢字がなぜあるのでしょうか。
伎奴(きぬ)や伎沼(きぬ)という字は、「きぬ」という言葉があって、文字にするため、「き」には伎、「ぬ」には奴や沼という漢字を充てたものです。こうした漢字の使い方は日本語が成立する過程でうまれた万葉仮名といって、万葉集はこうした万葉仮名で書かれています。また、衣や帛、縷、幣という『きぬ』は、それぞれ絹でつくられた種類のちがう織物ですが、どれも『きぬ』と呼ばれました。のちに中国からそれぞれの織物をあらわす漢字が伝わってきましたが、読み方は『きぬ』のまま踏襲してきたのです。
では『きぬ』という言葉はどこから生まれたのでしょうか。布目順郎氏は、著書「養蚕の起源と古代絹」の中で、韓(から)語のkienという発音が、弥生時代に朝鮮半島の楽浪あたりから伝わり、訛って『きぬ』になったのだろうといっています。でも、中国語の絹の発音が日本に伝わり『きぬ』の語源になった可能性もあると指摘しています。
一方、「日本語千夜一話」の小林昭美氏は、絹を意味する古代中国語音のkyuanの終わりのnに寄生母音であるウがついてkyuanu『きぬ』と発音するようになったといいます。
養蚕や絹の発祥地が華中の揚子江流域とすると、彼らが養蚕や生糸・織物の技術を日本に持ち込んでkyuanと話していたのを聞いた弥生人たちが、その発音をまねているうち『きぬ』になったとしても不思議ではありません。これは日本人が文字を持っていなかったころのお話です。
「これは何?」 → 「 Kyuan !」 → ? 「 kinu 」
ところで漢字は、象形文字から発達した表意文字です。象形文字とは、物の形や動作を模式化してうまれた文字なので、それをもとに発展した表意文字には字に意味があるのです。 絹という文字を分解すると左の糸偏は糸巻を(いとまき)あらわし、右は人が生糸を巻きつける動作を表しています。つまり糸車に生糸を巻き取る姿から絹の字はできているのです。ですから絹の字が国を越えてどのように発音されようが、『きぬ』という糸や織物を表わすことに変わりはないのです。
ちなみに絹を英語ではシルクといいますが、これは絹を表す蒙古語sirghekに由来しています。昔の生糸は黄色味を帯びたものが多く、蒙古語の藁色(わらいろ)sirghaから派生してsirghekになっています。言葉の起源をたどると意外な意味があるものです。