蚕と絹のあれこれ 47

養蚕の言葉  その5



  繭から生糸をつくる仕事は製糸とよばれ、これを生業としていたのが製糸業者です。全国的には会社経営による製糸業者が多かったのですが、愛媛では農協が出資する三つの組合製糸がそれぞれの農協を地盤に繭を集めていました。

  製糸工場では農家が出荷した繭を直ちに100℃の熱風に当てて蛹を殺し、徐々に風の温度をさげながら4時間ほどかけて乾燥させ貯繭1(ちょけん)しています。生繭で置いておくと蛹が蛾になって繭に穴をあけ、糸が繰れなくなるので出荷された繭はすぐに乾繭2(かんけん)にするのです。

  工場では蚕を飼えない冬季でも稼働できるように多くの繭を蓄えておく必要があり、そばに乾繭場3と貯繭倉庫4を併設していました。ある組合製糸では県内地盤だけでは繭が足りないため群馬県に出張所を設けて繭を買い集め、地元の製糸で乾繭したものをトラックで運んでいました。
1貯繭 ; 乾燥させた製糸原料繭を生糸に加工するまでの間、貯蔵しておくことです。
2乾繭 ; 長期貯蔵に耐えられるように繭を乾燥させることです。
3乾繭場 ; ベルトコンベアにのって運ばれてくる生繭を、熱風が吹き出す機械に送り
    込み、6時間かけて乾燥させるための施設です。
4貯繭倉庫 ; 乾繭を貯蔵するための倉庫です。カビの発生を防ぐために湿度を70%
    以下に保ち、ネズミや虫の食害を防ぐようにしています。

  製糸の作業工程は、乾燥させた繭を煮繭5(しゃけん)したのち自動繰糸機6(じどうそうしき)に送り込んで繭から糸を繰り、一定の太さの生糸をつくることです。
  これらは機械が自動的に行うので、かつてのように機械の前に女工さんが並んで仕事をすることはありません。

  できた生糸は生糸検査を受けて販売しますが、その価格は神戸と横浜にある生糸取引所7(きいととりひきじょ)相場価格8(そうばかかく)を参考に、品質や需給の状況などを勘案して生糸問屋や織物業者と相対で決めています。

5煮繭 ; 繭から糸を引き出しやすくするために繭を煮ることです。最初は60℃くらい
   の湯になじませ、ついで90℃の高温槽に移して繭の内部の空気を蒸気にかえた
    のちに10℃の水に移すと温度差による圧力で繭内部まで水が入ります。再び
   98℃の湯で煮て糸同士を接着しているセリシンを溶かすと、温度をさげながら
    繭の中まで完全に湯を浸透させます。こうした一連の作業は自動煮繭機が行い
    ます。
6自動繰糸機 ; 煮繭して膨潤化した繭の表面から薄く繭層をはがして糸口を引き出
    し、一定の粒数の繭糸を束ねて繰りながら一本の生糸にします。生糸は脱水しな
   がら小枠に巻き取りますが、これらはすべて機械が自動的に行います。
7生糸取引所 ; 生糸の現物と先物取引を行う商品取引所として明治26年に横浜に
   設置され平成18年まで続きました。もとは幕末に横浜が開港されて生糸の売りこ
    み問屋が集まって外国との貿易を仲立ちしたのが始まりでした。神戸の取引所が
   生糸を取り扱い始めたのは昭和3年からです。
8相場価格 ; 生糸取引所における取引価格のこと。取引単位の一枚は300`であ
    り、生糸一`が1.2万円とすると一枚で360万円です。相場が`300円あがると
    一枚につき9万円の利益がでます。取引は小口で10枚単位ですが、大口なら
    100枚単位でおこなわれるので一回の取引で900万円の利益になります。取引
    は月曜から金曜日までで祭日は休み。午前二回、午後二回の場を立てて売買の
    取引を行いました。ほかに前橋 や豊橋に乾繭の取引所があって横浜と神戸の生
  糸相場に影響をうけていました。

  生糸の価格には養蚕農家に支払う繭代も含まれています。昔から糸価に対する製糸と養蚕の取り分は価格協定で決められ、概ね2対8の割合になっています。
  つまり製糸業者は生糸を製造した工賃として生糸価格の2割をとり、養蚕農家は8割をとるのです。たとえば生糸1`の値段が1万円だったとすると、製糸は2千円、養蚕側は8千円を得るわけです。

  ちなみに、生糸1`をつくるのに必要な繭の量は生糸量歩合8(きいとりょうぶあい)から求められます。生糸量歩合が20%だったとすると、生糸1`に対して繭は5`が必要になります。ですから繭1`の値段は8千円を5で割った`1,600円になるのです。

  こうした繭の値段を計算する単位は、昔から円ではなくて掛目9(かけめ)が使われていて、8千円は8千掛と言っていました。さらに、繭の品質に関しては1等や優等などの格付け10(かくづけ)があり、該当する格差掛目11(かくさかけめ)を加除します。

  たとえば優等繭の掛目が+75掛とすると、取引掛目は8075掛(円)になり、繭1`は1615円になります。こうした品質に関する掛目も蚕期ごとに養蚕と製糸の代表が価格協定で決めますが、なにより生糸相場12がどうなっているかが最大の関心事でした。

8 生糸量歩合 ; 繭1`から得られる生糸の重量割合です。糸歩(いとぶ)ともよばれ、
    おおむね18%程度です。
9 掛目 ; 生糸の販売価格のうちの繭代が占める金額を掛の単位で表します。繭取
     引における値段をあらわす単位として使われ、円と同じ意味です。
10格付け ; 繭の検定における繭糸長と解じょ率の点数を合計して等級点を求め、
   繭の品質に優等格から4等格まで5段階の格差をつけています。
11格差掛目 ; 繭の格ごとに価格差を設けて、繭価格に反映させる掛目のことです。
12生糸相場 ; 生糸取引所で行われる現物・先物取引の値動きのことです。

  その生糸相場は、バブル最後の平成元年に`15,300円と最高値をつけて活況を呈しましたが、6年に突如7,400円にまで暴落し、県内の組合製糸はもちろんのこと、それを束ねていた県蚕糸農協連合会13も負債を抱えて資産超過になって整理せざるを得なくなりました。
  こうした製糸の倒産は全国各地で起こり、川上川下14の業界を震撼させたのです。

  それまでは繭糸価格安定法15(けんしかかくあんていほう)によって繭も生糸も市場における価格の安定帯が決められていて、それを超える変動があれば、国が蚕糸砂糖類価格安定事業団16を通じて生糸市場に介入し、価格の下落を支えたり高騰を抑えたりしてきました。

  ところが蚕糸業17はもちろん農産物の価格を下支えする制度は動かなくなっていたのです。

  これは平成5年に妥結したガットウルグアイラウンド18交渉で各国は農産物における市場価格の支持政策をやめ、輸入の自由化と関税化に移行することを約束していたからです。

  つまり、国は生糸相場が中国産の輸入価格まで落ちることを想定していたわけで、平成6年の大暴落につづいて7年には6500円、9年には4900円、15年には2200円まで落ちて、とうとう輸入生糸よりも安くなってしまったのです。

13 蚕糸農協連合会 ; 養蚕事業を行なっている総合農協や専門農協が集まった県
      連の組織です。県連にはほかに県森連、県漁連、県農協中央会、県経済連、県
      信連,県青果連などがありました。
14 川上川下 ; 原料を生産する業種を川上といい、原料をもとに加工して製品化す
    る業種を川下とよんでいます。養蚕農家や製糸業者、蚕種製造業は川上で、生
    糸問屋や撚糸業者、機屋、染屋、織物業者、呉服商などは川下といいます。
15 繭糸価格安定法 ; 生糸と繭の生産費をもとに生糸・繭取引における基準となる
      価格や変動が許容される範囲を安定価格帯として定め、蚕糸事業団の売買業
      務を通じて市中在庫の調整を行って維持することを定めた法律です。
16 蚕糸砂糖類価格安定事業団 ; 繭および生糸の買い入れや売り渡しを通じて適
      正水準に糸価や繭価を維持するため、政府の代行機関として昭和34年に政府
      出資による日本蚕繭事業団が設立しました。その後、民間出資を加えて昭和41
      年に日本蚕糸事業団となり、昭和56年に砂糖を加えて蚕糸砂糖類価格安定事
      業団となり、平成8年には畜産を含めて農畜産業振興事業団、平成15年には
      野菜を含めて農畜産業振興機構に改組しています。
17 蚕糸業 ; 養蚕業と製糸業、蚕種製造業をあわせて蚕糸業といい、農林水産省の
      所管でした。それ以外の川下は経済産業省の所管になっています。
18 ガットウルグアイラウンド ; ガットは第二次世界大戦の教訓から、貿易上の障壁
      をなくして自由化を促進するための貿易ルールを定める国際機関のことです。
      164ケ国が参加し、締結された条約には法的拘束力があります。現在はWTO
      (国際貿易機関)として通商交渉が継続されています。平成5年に農産物につい
    て合意されたのは、市場価格を支持する政策の削減、生産を刺激させる政策の
      削減、輸入の自由化と関税化、関税の順次削減。輸出補助金の削減でした。

  そのため国は7年から生糸価格とは切り離して農家の繭代を`1518円19に決めて製糸業者には`あたり100円の負担を求め、残りは国が出すことにしたのです。でも養蚕の現場では『国費にも限りがあるから、そこまでして養蚕を続けることはない』という空気に包まれていました。

  それに現場を支えてきた各県の蚕業技術指導所や繭検定所の設置根拠となる蚕糸業法20が廃止され、これを受けて各県では蚕業試験場も含めて次々と組織が整理されていきました。

  そんな姿を目の当たりにした養蚕農家や製糸業者は終わりを悟ったのです。もちろん、製糸業の免許にかかる製糸業法21も廃止されました。これらは平成9年のことです。

  なんとも目まぐるしい数年間でしたが、貿易の自由化という黒船がやってきて、繭生産の規模にくらべて身の丈にあわない前時代的な制度が壊れた感じです。

19 1518円 ; 平成7年に国が農家の所得を確保するため、繭価を生産費から計算
      して1518円に決め、取引指導繭価とよんでいました。従来の生糸価格から繭
    価を算定方法は生糸価格の下落によって使えなくなっていました。
20 蚕糸業法 ; 明治44年に成立した蚕糸業に関する法律です。蚕種や蚕の飼育に
      ついての規制や繭の品質基準、繭取引に関する規則、生糸の製造工程や流通
      に関する規定など細かい規定からなっています。
21 製糸業法 ; 昭和7年に小さな製糸業者の乱立を防ぐため、工場の資格を規定し
    免許制とするほか、繭取引の安全化や生糸品質の向上を図るために制定され
      た法律です。

  ところで平成6年春にすべての組合製糸が倒産した際には、養蚕現場で衝撃が走りましたが、紆余曲節を経て高知県にある民間の製糸業者に繭を引き取ってもらうことになりました。

  その最初の価格協定では、養蚕事業を引き継いだ経済連と製糸が激しくぶつかり合いました。経済連は繭代に`1円の上乗せを求めたのに対し、製糸業者は強く反発して延々18時間も協定が紛糾したのです。
  製糸は『高知へ戻れんから、泊まらないかようになったち。宿代考えたら1円あげた方が安いけど、関東でも同じようにやってるから、それでいいでしょう。』と突っぱねますが、経済連も『銘柄の伊予生糸をつくれるようになったのだから少しは配慮があったっていいでしょう。こちらも農家の付託を受けて販売させてもらっているんだから簡単には引き下がれませんよ』 と粘ります。

  従来からの慣例で私も中立の立場で立ち会っていましたが、双方が折り合わず困ってしまいました。
  それが翌年になると国が全国一律の繭価格を定めたので価格協定そのものが無くなりました。それでも年に一度は顔を合わせるために高知を訪ねたものです。

  その高知県の製糸業者は養蚕農家がほとんどいなくなった平成17年に工場を閉鎖し、ブラジルにあった鐘紡の工場を引き継いで外国での製糸業に生き残りをかけました。そしてブラジルで養蚕農家を増やしながら今もヨーロッパの顧客にむけて生糸を輸出しています。

  さすが坂本龍馬を輩出した土佐だけあって気宇壮大(けうそうだい)な行動力です。