蚕と絹のあれこれ 43

養蚕の言葉 その1


   養蚕には独特の言葉がいくつもあって、その道以外の人からはよく『何を話しているのかわからない』と言われました。 そんな専門用語も今や忘れさられようとしています。
  そこで後世に研究する人の一助になればと、私が蚕業試験場で働いていたころの話しを交えながら解説してみます。

   蚕業試験場にはおよ2haの桑園1(そうえん)のほか、研究本館や飼育棟、研修施設などがあり、その端の水路をはさんで農協の稚蚕(ちさん)共同飼育所2がありました。

1 桑園 ; 蚕を飼うための桑を栽培している畑のこと。
2 稚蚕共同飼育 ; 蚕が1令や2令の小さい間を稚蚕とよび、病気や温湿度の変化に
     弱いので環境制御ができる施設でまとめて飼います。飼育の期間は各令4日の
     8日間です。

   赴任して初めの頃は遠くから飼育所を眺めていましたが、二年ほどたったころに農協から病原菌の検査を頼まれて初めて飼育所に入いりました。
   農協には養蚕を担当する蚕業技術員3(さんぎょうぎじゅついん)がいて、この飼育所では5月の春蚕4(しゅんさん)をはじめ、6月の夏蚕5(かさん)、7月の初秋蚕6(しょしゅうさん)、8月の晩秋蚕7(ばんしゅうさん)、9月晩々秋蚕8(ばんばんしゅうさん)の稚蚕飼育を行うために、その人がそれぞれの蚕期に泊まり込みで作業をしていました。

3 蚕業技術員 ; 桑の栽培、養蚕、製糸などの知識と技術があり、県の行う筆記と口
     述試験に合格し知事の登録を受けて養蚕農家に蚕業技術の指導を行う人のこ
     とです。ほとんどが農協の職員です。
4 春蚕 ; 5月上旬に蚕の飼育を始める蚕期の呼び名で、6月上旬に繭を作ります
5 夏蚕 ; 6月中旬に蚕の飼育を始める蚕期の呼び名で、7月中旬に繭を作ります
6 初秋蚕 ; 7月中旬に蚕の飼育を始める蚕期の呼び名で、8月上旬に繭を作ります7 晩秋蚕 ; 8月下旬に蚕の飼育を始める蚕期の呼び名で、9月中旬に繭を作ります
8 晩々秋蚕 ; 9月上旬に蚕の飼育を始める蚕期の呼び名で、10月上旬に繭を作り
   ます。

   稚蚕(ちさん)飼育の開始日には、蚕種会社が掃き立て9(はきたて)日に合わせて催青10(さいせい)し 孵化した蟻蚕11(ぎさん)を飼育所へ持ってきます。
   蟻蚕は薄い木箱にひと箱12あたり2万頭が入っています。
この飼育所では多いときには三百箱ほどを飼育するので、近隣の養蚕農家の女性たちが十人ほど出役13(でやく)といって一週間ほど飼育作業に従事していました。年令的にはお婆さんから若奥さんまでさまざまですが、一様におしゃべりが大好きな人たちでした。

9 掃き立て ; 卵から孵ったばかりの蚕の幼虫を羽箒で蚕座に掃きおろし、最初の
    桑の葉を与えること。
10 催青 ; 蚕種会社が卵を孵化させるために温湿度や光などを調節し保護すること
11  蟻蚕 ; 卵から孵ったばかりの蚕の幼虫の呼び名です。見た目も蟻に似ています
12 一箱 ; 蚕種会社が木枠の薄い箱に約2万粒の卵を入れているので、蚕の数量を
    あらわす単位として〇箱という言い方をします。
13 出役 ; 農家が共同して行う作業に参加することをいう地方の方言です。

  そのころ、どの飼育所でも稚蚕を桑で飼っていたので早朝に隣接する稚蚕桑園14(ちさんそうえん)で桑の新梢15(しんしょう)を収穫して貯桑16(ちょそう)し、掃き立てが始まる前に挫桑17(ざそう)していました。
  最初のうちは蚕もさほど桑を食べないので桑とりや給桑18(きゅうそう)に時間はかかりませんが、それでも多い時には600万頭もの蚕のお世話をするので作業は早朝から夕方までかかります。
  とくに朝夕二回の給桑時には蚕が均一に分布するように拡座19(かくざ)しながらまんべんなく桑を与え、発育にバラつきがでないように気を配っていました。

14 稚蚕桑園 ; 稚蚕用の柔らかく良質な葉を収穫するための専用桑園をさします。
15 新梢 ; 春になって新たに伸びてきた枝葉または収穫した後に新たに伸びてくる枝
    葉のこと。
16 貯桑 ; 収穫した桑を貯蔵しておく部屋または施設。床面はコンクリートです。
17 挫桑 ; 桑切包丁または挫桑機で桑の新梢や葉を細断すること。
18 給桑 ; 蚕に桑を与えること。
19 拡座 ; 蚕が生育するうえで望ましい密度に広げること。 

  そして一眠20(いちみん)後の二令起蚕21(にれいきさん)時には、網入れ22(あみいれ)除沙23(じょさ)蚕体消毒24(さんたいしょうどく)を行って、桑づけ25(くわづけ)を行います。飼育には蚕座26(さんざ)の入ったバケットがまわってくる多段循環型飼育装置を使っていて、その機械が二台ありました。

  機械が動き始めると女性たちは作業台に回ってくる蚕座をとり囲んで手早く作業をしています。二令三日目には一枚の蚕座に五千頭が入るように分箱27(ぶんぱこ)して拡座し、翌々日の三令起蚕28(さんれいきさん)には配蚕29(はいさん)します。

20 一眠 ;  蚕は一令の4日目に脱皮のために眠ったように動かなくなり桑もたべま
       せん。この最初の眠を一眠といいます。
21 二令起 ; 蚕が一令4日目ら眠に入り、その後脱皮して二令になった幼虫のこと。
22 網入れ ; 蚕座にナイロン製の網を敷いたうえに桑の葉をふりかけること。蚕が桑
       を食べるために網の上に移動したら網を持ち上げて蚕を蚕座から隔離します。
23 除沙 ; 網入れして蚕座に残った蚕の糞や食べ残した桑などを取り除くこと。
24 蚕体消毒 ; 蚕の幼虫は脱皮直後の皮膚が弱く、各種のカビの病気に罹りやす
       いので消毒剤(粉剤)を蚕の体にふりかけて感染を予防します。
25 桑付け ; 眠から起きて脱皮直後の蚕に桑の葉を与えること。発育の不揃いをふ
       せぐためにほぼすべての蚕が脱皮するまで桑葉を与えません。
26 蚕座 ; 蚕を飼うために地面から隔てられた清潔で通気性のよい棚や容器のこと
27 分箱 ; 蚕が大きくなると拡座するスペースがなくなり、別の蚕座に分けること
28 三令起 ; 2回目の脱皮を終えて3令になったばかりの蚕のこと。
29 配蚕 ; 稚蚕の共同飼育が終わり、各農家で飼育を始めるために予約した蚕の
    量を配分すること。

  蚕が育つにつれて作業が増えて忙しくなって機械に追われるようになると、おばさんたちは話に熱中しながらも機械を扱う技術員に
『あんまり早ようて 間に合わんのやけん もちっとゆるゆる遣(や)っておくれんかな もし』と訴えます。
  すると『そがいに よもだばっかり言うとるけん 遅そなりよるんよ!』とやり返されます。
  そして私は試験場からきているので先生呼ばれていて、『先生は ちゃんといい人がおりなさるに決まったとらいや 』と冷やかされたり、機械の間に入って病原菌の検査をしていると『先生 危ないけん そこ まがられんがな!』と注意されたりしました。

  そして配蚕当日になると各農家が予約した数量の蚕を受け取りにやって来て、その後自宅で3令、4令、5令とおよそ18日間を条桑30(じょぅそう)で飼育し、熟蚕31(じゅくさん)が出はじめると網上32(あみあげ)して上蔟33(じょうぞく)させ、回転蔟34(かいてんまぶし)に振り込んで繭をつくらせます。

30 条桑  ; 剪定鋏で桑の枝ごと切り取って、そのまま蚕座に敷くように置いて蚕
    に与えます。桑の葉だけを摘むのに対して大幅に労働が軽減されました。
31 熟蚕 ; 蚕の幼虫は5令8日目ころになると桑を食べなくなり、体があめ色になっ
     て透けてきます。こうした変化は糸を吐く直前なので、熟した蚕つまり熟蚕と
       よびます。
32 網上げ ; 熟蚕が目立ち始めたら蚕座に網をおいて桑の葉を与え、 蚕が食べるた
       めに網の上にあがって桑を食べきるのを待って網をあげ、上にいる熟蚕を集め
       ます。 
33 上蔟 ; 蚕の幼虫が糸を吐く前の熟蚕になると蚕座から拾いあげて蔟(まぶし)に
       移す必要があり、この作業を蔟に上げるという意味から上蔟とよんでいます。
34 回転蔟 ; 蔟は蚕が繭をつくるための場所です。かつては藁で編んだ蔟でした
       が、いまは碁盤目状に細かく区分けされたボール紙製の蔟を使います。ボール
       紙製蔟は10枚ひと組にして木枠にとりつけ熟蚕を振り込むと、蚕はマス目に入
       っていきます。その木枠を蚕室の鉄骨からつるしておくと、蚕が移動するたび
       に重みで蔟が回転し、蚕は開いているマス目をみつけて中に入っていきます。
    つまり回転する蔟なので回転蔟と呼んでいます。

  その間に農家で膿蚕35(うみこ)が出たとか蚕が吐液したりすると、蚕業技術員や蚕業改良指導員36(さんぎょうかいりょうしどういん)から依頼があって当該農家に出向きます。

  配蚕のときには冗談を言いながら明るく蚕を受け取っていた農家が心配そうな顔でたたずんでいます。

  手早く病気の診断をして処置を指示しますが、時にはあきらめて次の蚕期でやり直すように話すこともありました。私の専門が桑と蚕の病理学なので声がかかれば必ず現場に出向くようにしていました。

35 膿蚕 ; 蚕の被害が最も大きく防除が難しいウイルス病です。正式には核多角体
    病という病名です。罹病した蚕は節々が膨れ上がるので'節高'ともよばれま
    す。皮膚から膿を出して歩きまわり、それが蚕座の桑葉に付いて他の蚕に感染
    が広がります。
36 蚕業改良指導員 ; 養蚕や採桑、経営の高度な知識や技術をもち 蚕業技術指導
    所に駐在して地域の蚕業技術員と連携しながら養蚕農家の技術向上と経営の
    発展を指導する都道府県の職員です。県が行う試筆記験と口述試験に合格し
    た者で、のちに国の規定により農業改良普及員の有資格者とみなされました