昆虫病理学との出会い
大学四年生になると、どこかの研究室に属して卒論を書かねばなりません。卒論は必須単位なので書かないと卒業ができません。ですから三年生の後半になると希望する研究室に申し込み面接を受けて決めるのですが、定員に余裕があれば落ちることはありません。ところが私の場合は、全ての研究室から断わられてしまったのです。それまでの受講態度に問題があったらしい。たしかに講義はほとんど出ずに、友人のノートを借りて試験だけを受けていました。それでもそこそこの点数はとれたので三年生にはあがれましたが、最後に思わぬ落とし穴があったわけです。動物行動学者の日高敏隆さんが一般教養でゼミを開いていたのですが、卒論を担当するのは学科の研究室と決まっていたのでこちらもダメでした。
身のおきどころがないままに三月を迎え、いよいよ留年もやむなしと諦めかけたときに、偶然東大から新たに助教授が来て昆虫病理学の研究室を開くことになったのです。学生のほとんどは研究室が決まっていたうえ私の過去の行状は知られていないので、助教授が赴任するや否や訪ねていって申し込みました。 もらい手のない子犬のようでかわいそうに思ったのか、その場で許可がおり留年の危機をしのいだのです。じつは、これが昆虫病理学とのつきあいの始まりでした。
その後、大学院でもウイルスの研究をつづけ、県の試験場に入ってからも蚕と桑の病理を担当しました。途中、国の研究所で細菌学やカビ(糸状菌)を学んで病原菌とは長いつき合いになりました。
蚕をはじめとする昆虫のウイルスは人に感染することはありません。
そのため安心して扱えますが蚕にはよくかかります。蚕には免疫の仕組みがないためウイルスには弱いのです。試験場では研究室からウイルスが拡散しないように防疫にはずいぶん神経をつかいました。同じ病原菌でも細菌やカビは広がりにくいので安心できます。これらは増殖するには 一定の条件がいるうえ、蚕の方でも防御の仕組みを持っているからです。
これに対してウイルスは遺伝子を蛋白質の膜で覆った単純な構造なので、生き残るには宿主に感染するしかありません。感染すると自分の複製を作らせて、たちまち天文学的な数に増えていきます。妙な生物というか、いや生物とは言えないかもしれません。
ところで、昆虫のウイルスは多角体という蛋白質の容器をつくり、その中に数十〜数百個のウイルスを格納して保護しています。容器は丈夫で野外の厳しい環境のもとでも中のウイルスを守っています。
一方、人間のウイルスは多角体などがないため直射日光のもとですぐに壊れてしまいます。案外、自然界では弱いのです。
ウイルス感染の広がり方は、昆虫では罹病した個体が体液をもらしながら歩き回って感染を広げ、人間では罹病した人があちこち触ったりエアゾルを出しながら感染を広げます。どちらも罹病者がウイルスを拡散するのです。ですから、昆虫でも人間でも感染者の早期隔離が大事なのです。昆虫は自発的に隔離しませんが、人間はできるので感染の波を遅らせることが可能になります。
つまり人間の場合は、感染の波を遅らせて最終手段を準備する時間を稼ぐことができます。その最終手段とは免疫という防御手段です。一度免疫ができれば同じウイルスには罹りにくくなり、ウイルスは感染と増殖の場を失います。免疫には感染してできる自然免疫のほかにワクチンの予防接種による免疫があり、どちらの方法でも免疫を獲得する人が多くなれば、ウイルスは消えるしかありません。
コロナとの闘いは感染の波を遅らせて、より広くワクチンによる免疫を獲得するかがカギになるでしょう。 それまでは感染が起きやすいところには出歩かないことです。
大学四年生になると、どこかの研究室に属して卒論を書かねばなりません。卒論は必須単位なので書かないと卒業ができません。ですから三年生の後半になると希望する研究室に申し込み面接を受けて決めるのですが、定員に余裕があれば落ちることはありません。ところが私の場合は、全ての研究室から断わられてしまったのです。それまでの受講態度に問題があったらしい。たしかに講義はほとんど出ずに、友人のノートを借りて試験だけを受けていました。それでもそこそこの点数はとれたので三年生にはあがれましたが、最後に思わぬ落とし穴があったわけです。動物行動学者の日高敏隆さんが一般教養でゼミを開いていたのですが、卒論を担当するのは学科の研究室と決まっていたのでこちらもダメでした。
身のおきどころがないままに三月を迎え、いよいよ留年もやむなしと諦めかけたときに、偶然東大から新たに助教授が来て昆虫病理学の研究室を開くことになったのです。学生のほとんどは研究室が決まっていたうえ私の過去の行状は知られていないので、助教授が赴任するや否や訪ねていって申し込みました。 もらい手のない子犬のようでかわいそうに思ったのか、その場で許可がおり留年の危機をしのいだのです。じつは、これが昆虫病理学とのつきあいの始まりでした。
その後、大学院でもウイルスの研究をつづけ、県の試験場に入ってからも蚕と桑の病理を担当しました。途中、国の研究所で細菌学やカビ(糸状菌)を学んで病原菌とは長いつき合いになりました。
蚕をはじめとする昆虫のウイルスは人に感染することはありません。
そのため安心して扱えますが蚕にはよくかかります。蚕には免疫の仕組みがないためウイルスには弱いのです。試験場では研究室からウイルスが拡散しないように防疫にはずいぶん神経をつかいました。同じ病原菌でも細菌やカビは広がりにくいので安心できます。これらは増殖するには 一定の条件がいるうえ、蚕の方でも防御の仕組みを持っているからです。
これに対してウイルスは遺伝子を蛋白質の膜で覆った単純な構造なので、生き残るには宿主に感染するしかありません。感染すると自分の複製を作らせて、たちまち天文学的な数に増えていきます。妙な生物というか、いや生物とは言えないかもしれません。
ところで、昆虫のウイルスは多角体という蛋白質の容器をつくり、その中に数十〜数百個のウイルスを格納して保護しています。容器は丈夫で野外の厳しい環境のもとでも中のウイルスを守っています。
一方、人間のウイルスは多角体などがないため直射日光のもとですぐに壊れてしまいます。案外、自然界では弱いのです。
ウイルス感染の広がり方は、昆虫では罹病した個体が体液をもらしながら歩き回って感染を広げ、人間では罹病した人があちこち触ったりエアゾルを出しながら感染を広げます。どちらも罹病者がウイルスを拡散するのです。ですから、昆虫でも人間でも感染者の早期隔離が大事なのです。昆虫は自発的に隔離しませんが、人間はできるので感染の波を遅らせることが可能になります。
つまり人間の場合は、感染の波を遅らせて最終手段を準備する時間を稼ぐことができます。その最終手段とは免疫という防御手段です。一度免疫ができれば同じウイルスには罹りにくくなり、ウイルスは感染と増殖の場を失います。免疫には感染してできる自然免疫のほかにワクチンの予防接種による免疫があり、どちらの方法でも免疫を獲得する人が多くなれば、ウイルスは消えるしかありません。
コロナとの闘いは感染の波を遅らせて、より広くワクチンによる免疫を獲得するかがカギになるでしょう。 それまでは感染が起きやすいところには出歩かないことです。