折々の記 24

 寿命のローソク


    仕事を辞めて8 年ほど経ちましたが、退職した人の近況を聞くと60 代は何かしらの病気で通院していて、70 代では入院する人が増え、80 代になると外出すらできなくなっています。支障なく暮らせるのは 70 才までのようです。
    いくら寿命が伸びたからといっても元気で過ごせる人はそう多くはないということです。その点、昔の人はどうだったのでしょう。そもそもそんなに長生きはしてなかった気がします。
    平均寿命をみてみると、私が生まれた昭和 27 年は 60 才でした。55才で定年を迎えると 5 年ほどでコロッと逝っていました。終戦後の昭和 22 年は 50 才。 明治や大正のころになら44 才とさらに短くなって、江戸時代では 40 才、平安時代なら 30才で人生をとじていました。
    清少納言などは 15 歳で結婚し 16 歳で出産して 34 才で隠居しています。若くして結婚し子供を産んで孫の顔をみたらすぐにお迎えがきたのです。おそらく健康を損ねたらそれで終わりだったのでしょう。今のように医者のお世話になりながら長い老後を過ごすことは無かったのです。
    それが今や寿命は80 才を越え、明治の人の二倍も生きているのです。これでは孫どころかヒ孫がいてもお迎えが来ないわけです。寿命が伸びたのはありがたいことですが、苦労や悩みも長引くので手放しでは喜べません。

    ところで日本の昔ばなしに寿命のローソクというお話があります。天の入り口には赤鬼が住む部屋があり、一人一人の命のローソクが置かれていて鬼がこれを見張っているのです。ローソクの長さは命の長さをあらわしていて、ローソクが燃え尽きるとその人の寿命も尽きるというのです。物語では、兄のローソクが倒れかかって消えそうなので弟が鬼にかくれて立て直して命を助けています。
   この寿命のローソクですが、実際にあるのです。ヒトの臓器をつくる細胞は一生のうちに分裂できる回数が決まっていて、心臓や神経などを除く臓器では 1〜2 年ごとに分裂しながら 50 回目で終了しています。それ以上の更新はないのです。分裂が終われば細胞は老化の道を進むだけで、いずれは臓器不全に陥って生物学的な終わりを迎えます。つまり、新しい細胞に更新できる回数券は50回分しかないということです。
   これは染色体の末端にテロメアと呼ばれる付箋のようなDNAがいくつも付いていて、細胞の更新を指令する役割があります。細胞が分裂するたびにその付箋は欠けて無くなっていき、すべて無くなるのが50 回目というわけです。だから、テロメアの長さが短くなるのは寿命のローソクが短くなるのと同じなのです。
    だとすると、テロメアの長さを測れば残りの年数が分かるように思うのですが、予想以上に早く欠ける人もいれば逆に伸びる人もいて、一概には言えないらしい。 喫煙や飲酒、ストレスはテロメアの減り方を早くして、健全な食生活や適度な運動、自然とのふれあいは長くする方に働くようです。
    私はすでに50 回の回数券を使い切っているように思えるので、あとは老化と機能不全が待っているだけです。であれば、赤鬼が寿命のローソクをうっかり蹴倒してピンピンコロリといくことを願うばかりです。