五行五色
日本の伝統色には多くの色がありますが、そのうち公式な色としては天皇の礼服の黄櫨染(こうろぜん)と東宮の黄丹(おうに)の二つがあ り、装束界では使うことのできない禁色(きんじき)とされています。また、かつては上皇の濃緋(こきひ)や親王の深紫(こきむらさき)なども禁色とされていました。このように立場によって使う色が決められたのは、遠く聖徳太子が行った冠位十二階(603年)に始まります。
日本が飛鳥時代のころに中国では五行五色という自然哲学の思想がひろまり、赤、青、黄の三原色に白と黒を合わせた五色は混じりっ気のない純粋な色(正色)と考えられていました。そして宇宙の万物は火、水、木、金、土の五つの元素で成りたっていて相互に作用していると考えられ、五色と元素を組み合わせています。赤は火の色、青は木の色、黄は土の色、白は金属の色、黒は水の色としたのです。
確かに五色はほかの色から作れない純粋な色ですが、逆に五色を組み合わせればすべての色をつくれるため五色は色彩の根源といえるでしょう。
黄櫨染(櫨の樹皮と蘇芳) 黄丹(紅花とクチナシ) 濃緋(紅花と紫根) 深紫(紫根)
赤(夏,南,火) 青(春,東,木) 黄(土用,中央,土) 白(秋,西,金) 黒(冬,北,水)
こうした思想は仏教の伝来とともに日本に伝わり、推古天皇の時に朝廷おける身分を色であらわす冠位十二階に使われました。朝廷での位を大徳から小智までの十二段階とし、それぞれの位の色に染めた冠(帽子)をかぶつて宮廷内の序列が見た目で分かるようにしたのです。
冠は紬のような太い絹糸で織りあげられたもの。形は烏帽子のような袋状をしており、ヘリはベルトのような飾りがついていました。
それまでは豪族が勢力によって力を誇示していましたが、天皇を頂点とする階級制に彼らを組み入れて中央集権的な体制に変えようとしたのです。 このため中国での思想的な背景はさて置き、色と階級だけを取り入れたのです。 制度はつごう7回ほど改正されて、そのつど使われる色は変化していきました。はじめは中国の5原色(赤、青、黄、黒、白)に紫を加えた6色とし、その濃淡を加えて十二色に分けました。 その後、黄と白をとりやめ緑と縹が加わり、青は紺にかわり赤は緋に置き換わって、最終的(717年)には濃紫、赤紫、深緋(ひ)、浅緋、深緑、浅緑、深縹(はなだ)、浅縹になりました。
つまり、日本独自の文化が育つとともに紫や緋、紺緑、縹といった糸へんで表される中間色、いわゆる混じりっ気のある色に変わっていったのです。おそらく位を色分けすることが目的だったので、五色にこだわりはなかったのでしょう。
では糸へんの中間色とはどんな色なのでしょう。まず赤色についてみてみます。染色では赤という色はありません。赤は辰砂(しんしゃ)とよばれる顔料の色。炎の光を浴びたような濃い朱色なので緋(ひ)色に近いでしょう。緋は糸へんに非と書いて左右に開くことを意味します。目を見開くような赤さを示しています。染めるにはアカネ(茜)の根を使います。アカネでは黄色みをおびた赤になるため、紫草(むらさきぐさ)の根もつかいます。アカネの赤と紫根の紫が混じり合って真緋(まひ)や深緋(ふかひ)といった緋色がうまれるのです。まさに炎を浴びたような色です。
緋 真緋 深緋 赤(顔料)
次に、紅(くれない)という字は糸へんに工と書き、工は供に通じて篝火(かがりび)のような色をあらわします。少し黒みを感じる赤です。 染料には紅花(べにばな)を使い、染める濃さによって艶紅(つやべに)や深紅(しんく)、韓紅(からくれない)、今様色(いまよういろ)、撫子(なでしこ)色、桜色、一斤染(いっこんぞめ)など多彩な中間色になります。その中で篝火のような色が紅です。
艶紅 深紅 韓紅 今様色 撫子色 桜色 このほか、『紺』と言う字は糸と甘と書き、甘は柑に通じて'はさむ'という意味があります。青地の間に紅の生地をはさんだような色です。
また、紫は此の下に糸の字があり、此は'くちばち'を意味します。くちばしのような色ですが、紫色をしたくちばしの鳥がいるのでしょう。
以上のように糸へんの色は『…のような色』と表現される色であり、初めから色自体に名前があるわけではありません。それに色をまぜたり濃淡をつけたりして作られるので中間色と呼ばれます。
この『…のような色』という中間色は、日本の美しい自然の色を写し取ろうとしてうまれ、日本の伝統色と言われるようになったのです。
かつての五行思想にもとづく五色の原色を目にすることはなくなりました。かろうじて寺院の式典に使われる五色の幕や鯉のぼりの吹き流し、七夕(たなばた)の短冊くらいにいきています。と思ったら五行五色は暦と易の世界で生きていました。
今年は丑(うし)年なので五色のうちの『黄』にあたり、希望や好奇心、意欲を表します。黄は五行の『土』に該当するので栄養を蓄え木を育てる土台を表します。同時に『土』は『信義・信念』をも意味します。つまり、今年は将来に希望をもちながらジタバタせずにじっくりと腰をすえて生きることが大切な年、ということになります。
これは案外、当たっているかもしれません。
日本の伝統色には多くの色がありますが、そのうち公式な色としては天皇の礼服の黄櫨染(こうろぜん)と東宮の黄丹(おうに)の二つがあ り、装束界では使うことのできない禁色(きんじき)とされています。また、かつては上皇の濃緋(こきひ)や親王の深紫(こきむらさき)なども禁色とされていました。このように立場によって使う色が決められたのは、遠く聖徳太子が行った冠位十二階(603年)に始まります。
日本が飛鳥時代のころに中国では五行五色という自然哲学の思想がひろまり、赤、青、黄の三原色に白と黒を合わせた五色は混じりっ気のない純粋な色(正色)と考えられていました。そして宇宙の万物は火、水、木、金、土の五つの元素で成りたっていて相互に作用していると考えられ、五色と元素を組み合わせています。赤は火の色、青は木の色、黄は土の色、白は金属の色、黒は水の色としたのです。
確かに五色はほかの色から作れない純粋な色ですが、逆に五色を組み合わせればすべての色をつくれるため五色は色彩の根源といえるでしょう。
こうした思想は仏教の伝来とともに日本に伝わり、推古天皇の時に朝廷おける身分を色であらわす冠位十二階に使われました。朝廷での位を大徳から小智までの十二段階とし、それぞれの位の色に染めた冠(帽子)をかぶつて宮廷内の序列が見た目で分かるようにしたのです。
冠は紬のような太い絹糸で織りあげられたもの。形は烏帽子のような袋状をしており、ヘリはベルトのような飾りがついていました。
それまでは豪族が勢力によって力を誇示していましたが、天皇を頂点とする階級制に彼らを組み入れて中央集権的な体制に変えようとしたのです。 このため中国での思想的な背景はさて置き、色と階級だけを取り入れたのです。 制度はつごう7回ほど改正されて、そのつど使われる色は変化していきました。はじめは中国の5原色(赤、青、黄、黒、白)に紫を加えた6色とし、その濃淡を加えて十二色に分けました。 その後、黄と白をとりやめ緑と縹が加わり、青は紺にかわり赤は緋に置き換わって、最終的(717年)には濃紫、赤紫、深緋(ひ)、浅緋、深緑、浅緑、深縹(はなだ)、浅縹になりました。
つまり、日本独自の文化が育つとともに紫や緋、紺緑、縹といった糸へんで表される中間色、いわゆる混じりっ気のある色に変わっていったのです。おそらく位を色分けすることが目的だったので、五色にこだわりはなかったのでしょう。
では糸へんの中間色とはどんな色なのでしょう。まず赤色についてみてみます。染色では赤という色はありません。赤は辰砂(しんしゃ)とよばれる顔料の色。炎の光を浴びたような濃い朱色なので緋(ひ)色に近いでしょう。緋は糸へんに非と書いて左右に開くことを意味します。目を見開くような赤さを示しています。染めるにはアカネ(茜)の根を使います。アカネでは黄色みをおびた赤になるため、紫草(むらさきぐさ)の根もつかいます。アカネの赤と紫根の紫が混じり合って真緋(まひ)や深緋(ふかひ)といった緋色がうまれるのです。まさに炎を浴びたような色です。
次に、紅(くれない)という字は糸へんに工と書き、工は供に通じて篝火(かがりび)のような色をあらわします。少し黒みを感じる赤です。 染料には紅花(べにばな)を使い、染める濃さによって艶紅(つやべに)や深紅(しんく)、韓紅(からくれない)、今様色(いまよういろ)、撫子(なでしこ)色、桜色、一斤染(いっこんぞめ)など多彩な中間色になります。その中で篝火のような色が紅です。
また、紫は此の下に糸の字があり、此は'くちばち'を意味します。くちばしのような色ですが、紫色をしたくちばしの鳥がいるのでしょう。
以上のように糸へんの色は『…のような色』と表現される色であり、初めから色自体に名前があるわけではありません。それに色をまぜたり濃淡をつけたりして作られるので中間色と呼ばれます。
この『…のような色』という中間色は、日本の美しい自然の色を写し取ろうとしてうまれ、日本の伝統色と言われるようになったのです。
かつての五行思想にもとづく五色の原色を目にすることはなくなりました。かろうじて寺院の式典に使われる五色の幕や鯉のぼりの吹き流し、七夕(たなばた)の短冊くらいにいきています。と思ったら五行五色は暦と易の世界で生きていました。
今年は丑(うし)年なので五色のうちの『黄』にあたり、希望や好奇心、意欲を表します。黄は五行の『土』に該当するので栄養を蓄え木を育てる土台を表します。同時に『土』は『信義・信念』をも意味します。つまり、今年は将来に希望をもちながらジタバタせずにじっくりと腰をすえて生きることが大切な年、ということになります。
これは案外、当たっているかもしれません。