蚕と絹のあれこれ 29

糸へんの漢字
   私たちが使っている漢字のルーツをたどると、物の形を表した甲骨文字にいたります。甲骨文字は紀元前1600年頃にできた古代中国の殷(いん:商ともいう)の国で使われていた文字のこと。吉凶の占いに用いるために亀の甲羅(こうら)や鹿の肩の骨に線で刻まれた象形文字です。
   文字は物の形や天気、人の動きなどを形にしているので、一つ一つの文字には元になった意味があり、後に漢字へ発展しても文字が意味をもつことに変わりはなかったのです。発音によって意味が成り立つ英語に対し漢字は字自体に意味がある表意文字といわれています。
  甲骨文字の例として、ここに三つの文字をあげてみます。
    
           は、蚕の餌となる桑の木を表し、のちに漢字の『桑』になります。 は、カイコの幼虫を表して、のちに『蚕』の字になります。
 は、繭(まゆ)から生糸を繰って撚(よ)っている動作を表して、のち    に『糸』の字になります。
   また、桑の字を少し変えて  にし、なかに虫と糸を入れると繭になります。つまり、蚕と桑の葉があれば繭ができるわけです。ひとつひとつの文字には意味があり、それらを組み合わせても新たな意味になるのです。
   つぎに、 という文字は、着物の襟元(えりもと)を合わせた姿を表し、のちに『衣』になりました。古代中国では着る人の魂が衣に寄せられるという考えがあり、招魂や鎮魂の儀式には新しい衣が用いられました。 記録によると、匈奴に捕らえられた兵士が生きて戻ったときに、まずは新しい衣に着替えさせて兵器で祓(はら)い、入魂の儀式を行って復活を祝ったとあります。 衣には魂がやどるという一種、霊的な観念があったので、その衣づくりは神聖な儀式であり、生糸を用いてつくられました。その作業にあたったのは宮廷でも選ばれた人たちで、始めるに当たっては吉凶を占って良き日を選びました。その吉凶を占うためにも文字が必要になり、殷では衣づくりに関するさまざまな文字が生まれたのです。その痕跡が甲骨文字から一歩進んだ『金文』に残っています。
   金文は、殷が滅びたあとに周(しゅう)や秦(しん)といった国が興り、それらの国で使われました。いまの漢字に近いものの、甲骨文字の雰囲気が残っています。
   金文のうちが付いた文字、すなわち糸へんの文字を見てみましょう。
   この字の右にある  は、細くて小さいという意味があり、細い生糸で作られた上質な『絹』を意味します。
     この字の右にある  は、繭から生糸を繰るときに上から縣繋する形を表し、生糸を撚り合わせて太い糸にすることとから『紡(つむ)ぐ』を意味します。
     この字の右にある   は、つぶれた目を意味します。細い生糸で細かく緻密に織った絹織物は薄くて滑らかなので薄い『紙』を表すようになりました。
     この字の右にある   は、新生児の頭頂部のあるヒヨメキを表しています。ヒヨメキは柔らかくほそいことから細い生糸を意味し、そこから『細い』を表わしています。
    この字の右にある   は、ねじって交差させることを意味します。生糸をねじって撚(よ)る動作から、『絞(しぼ)る』ことを意味します。
    この字の右にある  は、追いつくという意味があり、前の糸に続いて次の糸が追いつくようにつないで一本にすることから順序という意味になり、転じて階級などから『級』の字になっています。     この字の右にある  は、結び目を意味し、生糸の結び目から『結』ぶという動作を表します。
      この文字の右にある  は、満たすという意味があり、多くの生糸を集めて一本の絹糸に合わせることを表しています。そこから『統(す)べる』という動作を表すようになりました。
        この文字の右にある   は、札(ふだ)を表し糸で竹の札を『編(あ)む』ことを意味します

  こう見てくると糸へんの漢字は絹や生糸、衣づくりにルーツをもち、別に意味する字と組みあわせて新たな意味をもつ字ができています。まことに興味深い世界です。