蚕の神様
蚕(かいこ)にゆかりのある神社といえば 蚕影(こかげ)神社や蚕養(こがい)神社など、どういうわけか茨城県など関東に多くみられます。ところが西日本では京都太秦に三本足の鳥居をもった蚕養(こかい)神社があるくらいです。ここは蚕の社(やしろ)ともよばれ京都で最も古い木嶋神社の境内にあり、社の建立はさらに古いかもしれません。機織りの始祖である秦氏に由来がありそうです。
蚕にまつわる神社では蚕や桑を産んだとされる稚産霊神(わかみむすびのかみ)をお祭りしており、蚕の神様といわれています。蚕の神様に関しては、実際にそうよばれた人がいました。名前にも神(かみ)がついていて、蚕を飼わせると右に出るのはいないほど卓越していたのです。どんな品種でもその能力を引き出して大きな繭をつくれるように育てるのです。私も何度か同じ場所で並んで蚕を飼ってみましたが、繭になると歴然と差がついていました。さらに行動を共にしてみたのですが、秘訣と思えるようなものはありません。
そんな神さまが、あるときJICAの専門家としてインドへ養蚕の指導にいきました。場所はインド洋に突き出した南インドといわれる地方です。 春は温暖で乾燥し、夏は暑くて湿っ気が多く、冬はまた温暖で乾いた気候のようです。タミール州という所にいたようですが、ココナッツ林がひろがって赤いレンガ屋根が点在する、そんな風景がずっと続いていたそうです。 町のホテルに泊まるとシャワ―はだいたい壊れていて、別にお湯と水の蛇口があってもお湯は朝しか出なかったようです。インドの人は朝にシャワーを浴びるので夜は水しか出ないらしい。
食事はターリーという定食をずっと食べていたらしく 『ターリーは皿に野菜の煮物や汁などが乗っていて、それをご飯にのせてヨーグルトをかけて食べますが、これは案外、いけました。』 もともと食事や宿にこだわらない人だけに、どんな場所でも苦にならないのでしょう。
ただ、インドの人は指示したとおりに動かないらしく、英語は強いなまりがあって意思の疎通には苦労したようです。 『ほかの専門家は手ぶり身振りで教えているうち現地語を習得したようですが、カタコトで終わったので、あまりお役に立てなかったかもしれません。』 とあくまでも控え目な姿勢です。
もともと寡黙なうえに、やってみせて学んでもらうタイプの人なので、自分流に固執しやすいインドの人には向かなかったのかもしれません。
でも、あとで聞くと現地の人は 『 パンメシュアー(神様)はすごかった。あんな繭は作れなかったけど、前より大きな繭が作れるようになった』と喜んでいたそうです。
蚕の神様は国を超えても神様であり、マネのできないすごさがあったようです。