蚕と絹のあれこれ 14

核多角体ウイルスと犬猫のインターフェロン


  蚕を飼育する場合に気をつけたいのは病気の発生です。なにしろ数万頭の昆虫を密に飼うため、いったん病気が入ると一気に広がってしまいます。病気の中でとりわけ注意が必要なのは核多角体病です。これに感染した蚕は膿(うみ)のような乳白色の体液を流すことから膿病(のうびょう)ともよばれています。病原は昆虫の世界でよく知られた核多角体ウイルスです。
  このウイルスは魔法瓶のような形をしていて多角体と呼ばれる蛋白質の容器に入っています。ひとつの多角体にはおよそ数百個のウイルスが入っていて、ひとつの細胞には百個ほどの多角体ができます。ですから一つ細胞が感染して崩壊すると数万個のウイルスが放出されることになるのです。
  ウイルスそのものは野外に置かれると数十分で死んでしまいますが多角体の中にあると長く病原性を保ちます。蚕の死体やホコリの中にあれば 5年も生きているので、飼育する際は蚕室の床や天井、窓枠、蚕具類をしっかり洗浄してから消毒をおこなうことが必要です。
   蚕がこの病気にかかるのは多角体が付いた桑を食べて起こります。口から入った多角体はアルカリ性の消化液で溶かされて中のウイルスが放出されます。ウイルスは中腸の組織に感染し、ついで血球に感染して全身に広がっていきます。 
   こうした厄介なウイルスですが、東レ株式会社ではこれを改良して蚕にインターフェロンを作らせています。ウイルスが増殖するための遺伝子はそのままにしておき、多角体を作る遺伝子だけをとりだして犬や猫のインターフェロンを作る遺伝子と入れ替えているのです。それを蚕に注射すると 3〜4 日で体液の中で高い力価のインターフェロンが作られているので、それを精製して動物用の医薬品にしているのです。
猫用のインターキャットは、ネコの免疫不全ウイルス感染症や白血病ウイルス感染症の治療薬であり、犬用のインタードッグはアトピー性皮膚炎などの治療薬に使われています。
   こうした蚕による製薬技術の開発をきっかけにして昆虫を使った製薬研究が飛躍的に進みました。酵素やサイトカイニンなどの希少な蛋白質を昆虫の培養細胞で作れるようになったのです。
   最近では、ウイルスを使わずにトランスボゾン(piggyBac)という遺伝子の運び屋を使って蚕の絹をつくる遺伝子にインターフェロンの遺伝子を組み込む技術もできています。この遺伝子を組み込んだ蚕に繭を作らせると、繭糸に多くのインターフェロンが含まれるのでそれを抽出することもできています。こうした方法を使えば、高価な医薬品や酵素類を効率的に作れるので、蚕による昆虫工場もありえます。それでも蚕は人間にとってありがたい存在でありつづけるので良いのではないかと思います。