折々の記 28

柑橘発祥の地の不思議
   柑橘類が生まれたのは、いまも多くの野生種がみられるヒマラヤ山麓南東部でしょう。インドのアッサム州からミャンマー北部、中国雲南省にかけての丘陵地帯と考えられています。この一帯は、柑橘だけでなくイネやサトイモ、藍、蚕など多くの作物の発祥地としても知られています。まるで植物進化のホットスポットのみたいなところですが、なぜこのあたりに進化が集中しているのでしょうか。

   ヒマラヤ山脈は日本列島が8千b級の山で覆われるくらい広大なスケールをもった山脈です。山脈はおよそ5200万年前に南極大陸から分かれたインド亜大陸が 6千`も北上してユーラシア大陸に衝突して出来始めています。
  インド亜大陸はユーラシア大陸に乗り上げてヒマラヤ山脈をつくり押されたユーラシア大陸は盛り上がってチベット高原をつくりました。そしていまも両大陸の衝突は続いているので山脈や高原の上昇は続いています。
  そのヒマラヤ山脈の標高が4千bを越したあたりから、インド洋から内陸部に吹く夏の季節風が山脈に遮られて大量の雨を山麓にふらせはじめます。雨雲はさらに偏西風にのって山麓沿いに東南アジアへ流れこみます。一方、冬はユーラシア大陸の高気圧から冷たい季節風が流れだしますが、それを山脈が遮るため山麓は乾燥した冷涼な気候が保たれます。そのため夏は亜熱帯性気候で雨季があり、冬は冷涼で乾燥したアジアモンスーン気候をうみだしました。
  また、山脈に降り注いだ大量の雨は急な流れの大河となって谷をえぐり、標高差のある急峻な地形をつくりだしました。そのため標高の低いところでは湿潤な亜熱帯気候となり、少し標高があがると穏やかな温帯性気候となって、さらに標高があがると冷涼な高原気候が出現します。同じ緯度にありながら標高によって複層的な気候分布が生まれたのです。
   そのため8百万年くらい前には、山麓の標高に合わせてそれぞれの気候にあった動植物が棲息するようになり、原始的な柑橘も10種の祖先種を生み出しています。その後、山脈はさらに標高をあげてモンスーンはその力を強めますが、インド洋の海水温が年ごとに変化するようになってその勢いは強弱を繰り返します。この強弱が山麓に暮らす植物に大きな脅威をもたらしました。気温が1 ℃下がったからといって植物は2百b も麓へ移動できないのです。
   しかたなく植物は気候変化に対応できる多様な変異を蓄積していきます。わずかな変化に対しても爆発的な数の変異を起こして適応できる個体をうみだして種の存続を図ろうとしたのです。この地の植物は変異のポテンシャルを常に高い状態に置かざるを得なかったのです。
   そして4百万年前に地球の寒冷化が進みだしてモンスーンの勢いが弱まると、植物は蓄積していた変異を一気に発現させて激しく種の分化を起こしたのです。これが進化のホットスポットになった理由です。

   ところで人間もこの地では気候の変動に順応して、さまざまな食文化や生活様式を生み出しています。焼畑農業やモチ、茶、納豆などの食品に加え絹や藍、う飼い、漆器、お歯黒など、まさに日本文化の原型といえるものがこの地域で生まれています。それらはおなじ照葉樹林が広がる日本に伝わり、日本人の気質を育てました。
  とすれば、日本人の精神性はヒマラヤによって生み出されたと言えなくはないでしょう。