折々の記 25

ザボンとブンタン


     文旦(ぶんたん)が店頭に並んでいます。ソフトボールくらいの大きさで一個 95 円です。土佐文旦と書かかれていて少し小ぶりなうえに傷もついていますが、でも百円くらいならと思って買ってみました。
  
               木になっているブンタン
    じつは、以前から一度ザボン漬を作ってみたいと思っていました。ザボン漬は果皮の下にある白いワタの部分を使います。 晩白柚(ばんぺいゆ)や文旦のたぐいは果実が大きいわりに果肉は小さくワタの部分が多いために損をしたような気がします。でも今回はその白いワタを目的としています。

                土佐ブンタンと分割したもの
   家にもどるとさっそくザボン漬けのレシピを見ながら取りかかりました。はじめに文旦を八等分して果肉の部分を取り除き、果皮を薄くそいで白いワタの部分を切りだします。これを3センチほどの長さに切りそろえます。ちなみにワタの部分はアルベドといいます。
   水 200 mlとミョウバン小さじ半分を鍋に入れ沸騰したらアルベドを入れて 5 分ほど煮ます。その後、煮汁を捨てて水を換え5 分ほど沸騰するとアルベドが透明に変化するので火を止めます。 一晩、冷水につけてアクをぬきます。ここまでは、レシピどおりにうまくいきました。
    翌朝、鍋に水 50 mlと砂糖 200 gを入れて火にかけ、水切りをしたアルベドと果汁を入れて煮詰めます。あとは、グラニュー糖をまぶして冷やせばザボン漬の完成です。
    ところがここに落とし穴がありました。できたての熱いアルベドにグラニュー糖をまぶしたのでベトベトのザボン漬けになってしまいました。もはや冷やそうが風にあてようが元には戻りません。レシピを読み返すと煮詰めたあとは一度冷やして乾燥させグラニュー糖をまぶすと書いてありました。思えば、アルベドの水切りも適当すぎた気がします。しっかり絞ったうえでシロップを吸わせるべきでした。
    でも、たっぷりと果汁を入れたのでお土産に買ったザボン漬より美味しかったように思います。

    ザボン漬は、いわばブンタンのシロップ煮ですが、じつはザボンもブンタンも同じ果実をさしています。 ザボンの方は江戸時代のはじめに長崎へやってきたポルトガル船が持ち込んでいます。船員が持っていた果実を「ザンボア」と呼んだことからザボンになりました。  
    喜望峰をまわってインド洋を通るときにセイロン島へ立ち寄って手に入れたのでしょう。現地の人が「jambole(ジャムボール)」と呼んでいたことに由来します。 ポルトガルがマカオを拠点に日本に来はじめたのは1557 年の戦国時代です。そして江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止したのが1639 年。その間の80年ほどのあいだに伝わったように思います。
    一方、ブンタンの方は、江戸中期の元禄時代に中国の船が難破して鹿児島の阿久根港に漂着します。船長だった「謝 文旦(ブンタン)」が世話になったお礼に果実を渡し、これを地元の人が分旦(ブンタン)と呼んだことからその名がついています。
    ほかには中国に文という俳優がいてその人の家においしい洋ナシ型をした果実がなっていたので、俳優を意味する旦をつけて文旦(ブンタン)と呼んだという説もあります。いずれにしても元禄時代のことなので1688 年から1704 年までの間です。
   同じ種類の果実が入国した港が長崎か鹿児島かの違いによってザボンとブンタンに分かれたわけですが、日本に伝わったのはザボンの方が早かったようです。その後、果実がブンタンと呼ばれたので樹の名前もブンタンと呼ばれるようになり、ザボンはお菓子に名前が残ることになったのです。
   ブンタンには阿久根文旦(あくねぶんたん)や土佐文旦、晩白柚(ばんぺいゆ)、平戸文旦などがあり、果実は大きいもので 2 キロもあって色は黄色く形は丸いです。 果実の旬は 4 月上旬で、さわやかな甘みのあるブンタンは春の暖かさとともにやってきます。