折々の記 20

みかんという名前


   みかんといえば、どんな果実を連想しますか。温州みかんのように皮がむきやすくて甘い果実でしょうか。オレンジやネーブルのように皮がかたくてむけない果実もみかんですか。さらに夏みかんやキンカンなどはどうでしょう。たとえば、ブドウやリンゴは色々種類があってもどれもブドウやリンゴで通用します。その点、みかんはどこまでをみかんと言うのか悩ましいのです。そもそもみかんとは何を言ったものでしょう。
   みかんは漢字で「蜜柑」と書くように蜜のように甘い柑子(こうじ)という意味から名づけられています。甘い柑子の『柑子』とは、奈良時代に唐から伝わった柑橘の種類で比較的寒さに強く果実は黄色く小ぶりです。甘味はありますが温州みかんではありません。
   柑子が伝わるまでの柑橘は果皮を煎じて薬用に用いていて、果物(くだもの)として食べるようになったのは柑子が最初です。当時の人たちにとって柑子のような甘い果実は驚きだったようで 柑子の柑(かん)の字は木偏いと書くようになったという説があるくらいです。

                柑子の近縁種であるフクレミカン
   その柑子よりも蜜のように甘い「蜜柑(みつかん)」が室町時代に中国から伝わります。 初めはお寺や神社で作られて贈り物に使われていました。室町幕府の足利将軍などは風邪をひくたび寺に催促して取り寄せていました。それがあまりに頻繁なので寺ではわずらわしく思って蜜柑に柑子をまぜて渡していたようです。はじめは「みつかん」と呼んでいましたが、室町時代の中期になると「つ」を省いて「みかん」に変っています。
  この密柑、いまでいう温州みかんではありません。紀州みかんともいわれた小ミカンです。明治の始めまでは単にみかんと呼ばれ、甘味もありますが酸味もあって種もあり、じょうのう(内皮)は厚く果実は小ぶりです。もとは中国浙江省から熊本に伝わり、八代(やつしろ)みかんの名で全国に広がりました。そのうちに和歌山県が主産地になったので紀州みかんと呼ばれたのです。紀伊国屋文左衛門が嵐の中、船で江戸に送ったのもこの紀州みかんです。

             小みかん またの名を紀州みかん
   一方、いまの温州みかんは長らく李夫人(りうりん,りゅうりん)という妖艶な名で呼ばれてきました。李夫人は漢の武帝の愛人とされた女性です。白居易が李夫人を謳った詩に『北方に佳人あり 絶世にして独立 一顧すれば人の城を傾け 再顧すれば人の国を傾く』とよんだほどの人だったようです。
   いかにも中国由来の果実のようですが江戸時代の半ばに鹿児島県の長島で生まれた日本原産のみかんです。シーボルトの書物にはNagashimaとあり天草の南に浮かぶ長島(大仲島)が発祥の地とされています。 甘く美味しいわりに栽培が広がらなかったのは種がないので縁起が悪いとされたようです。でも明治の文明開化とともに新しさが求められると人気が高まり一気に栽培が広がりました。明治政府がみかんの栽培統計をとろうとしたときには紀州ミカンと李夫人を区別せざるをえないほど増えていたのです。
   当時は故事に通じた人がいたのでしょう。中国の「橘録」という古い書物に中国浙江省の温州府が甘いみかんの産地とあったので、そこから温州の名を借用して温州みかんと呼ぶようにしたのです。

             温州みかん
  こうして見てくると、皮が剥きやすく甘くて食べやすい柑橘をみかんと呼んできたわけで、橙(だいだい)や柑子(こうじ)、文旦(ぶんたん)、九年母(くねんぼ)などとは違う果実でした。マンダリンと呼ばれる系統であり人類が生まれるはるか以前に原始柑橘から派生しています。他の柑橘とは別の道を歩んできただけに外観も味や香りも違います。ですから柑橘類をひっくるめてみかんとよぶには違和感があり、みかんという名前は現在の温州みかんに限った方がよろしいでしょう。