折々の記 8

 島々


 
  海辺を歩いていると島影が幾重にも重なってすぐ近くにみえる。
   さらに日の沈むころには、はるか遠くの島々もシルエットのように浮かびあがってくる。
  見えているのは行ったことのない島ばかりだが、正面には野忽那島(のぐつなじま)、睦月島(むつきじま)、中島(なかじま)があり、中島の裏には怒和島(ぬわじま)と津和地島(つわじじま)がかくれている。左の方には興居島(ごごしま)と二神島(ふたがみじみ)とおぼしき島影があり、その向こうに高い山並みが薄青く浮かんでいる。そこには海しかないはずだが…

   地図でみると、山口県の周防大島であり島は陸地の柳井市と橋でつながっている。 右手には広島県の大崎上島や大崎下島がみえている。
  三県の島々に囲まれた海は湖面のような斎灘である。ここをとおって京阪神や九州へ向かうにはどこかの島の間を通らねばならない。そう考えると航路は意外に狭い。
  眺めていると多くの船が目の前の野忽那島(のぐつなじま)とこちらの陸地との間を通り過ぎていく。航路としては幅や深さがあって最短のルートなのだろう。 風向きや潮の流れに関係なく、悠然と進んでいる。

  これが帆船しかなかった時代には潮の流れや風向きが航海のすべてに優先していたに違いない。 風待ち、潮待ちの港が目の前の島々にあり、宿屋や遊郭もあったようだ。 帆船なら松山から京、大阪までは7日から10日ほどかかるが、当時はもっとも早い移動手段だった。
  それが今では豪華客船で 7 日ほどかけたクルーズに人気が集まっている。 早さよりも時間をかけて旅する方が船旅としては価値があるようだ。  船に求められる役割は時代とともに変っていく。でも、瀬戸内の景色の美しさはおそらく変わっていないはず。
   昔の人がみていた同じ風景を見ている自分は、時代を越えて同じ体験をしているのかもしれない。