折々の記  6

 サツマイモ


  サツマイモの苗が畑にサツマイモの苗が植わっている。 苗と言っても葉っぱが 5 枚ほどついたツルのようなもの。それが萎れて枯れかけていた。 畝(うね)を覆うマルチに張りついて哀れな姿をしていたが、いつの間にか畝(うね)が隠れるほどに葉を茂らせている。 思いのほか生命力が強いようだ。

  サツマイモといえば岩城島のイモケンピを思い出す。イモケンピは短冊状に切ったサツマイモを油であげて砂糖をまぶしたお菓子のこと。昔ながらの素朴な味がする。いつもながら食べ始めると止まらなくなり、胃腸薬のお世話になっている。それでも島を訪れると凝りずに買っている。 このイモケンピ、船を待つあいだに船着き場の売店で買っているが、運がよければ近くの製造場でできたてを買うことができる。

  岩城島の名物なのに島の中ではサツマイモをあまりみかけない。どうやら鹿児島県からイモを仕入れて加工しているらしい。使っているのはコガネセンガンという品種だから、甘さは控えめだが収量が多いので薩摩焼酎の原料に使われているタイプだ。このイモを焼き芋にすればホクホクした食感になる。ちまたで人気があるのは、蜜がしたたり落ちるようなネットリしたタイプである。

  じつは、この二つのサツマイモはどちらも江戸時代に日本に伝わっている。でも、ホクホクとネットリは渡来したルートが異なっている。
  ネットリの方は中南米のアンデス山脈が原産地であり、太平洋の島々を西へ広がって沖縄や九州平戸に入っている。琉球芋やはんすとも呼ばれ、 甘みが強くて粘りはあるが収量は少なく腐りやすいのであまり栽培は広がらなかった。
    一方、ホクホクの方はそれより百年ほどあとに同じアンデス山脈から東の方へ広がってベトナムや中国を経たのち沖縄や鹿児島へ伝わっている。中国を経由してきたので、唐芋(からいも)とか甘薯(かんしょ)などと呼ばれ、薩摩から広がったのでサツマイモとも呼ばれた。 肌が白っぽくて甘さは控えめで、食感はホクホクしている。ただ、作りやすく収量が多いので、飢饉に備えて全国に広がった。青木昆陽が広めたのはこのタイプのサツマイモである。
   サツマイモは焼き芋になるとやたらと値段が高くなる。一つ三百五十円もする。石を熱して遠赤外線でじっくり焼くためで、おかげで旨くなるらしい。
  子供のころ、秋になると掃除で集めた落ち葉を燃やしてはサツマイモを二、三個放り込んでよく焼いていた。焼き芋といえば落ち葉焚きを思い出す。イモは近所のおばさんからもらったもの。その時のイモは大きくて焼くとホクホクしていたが、さほど甘くなかったような気がする。おそらく、アンデス山脈から東回りにきた飢饉用のイモだったに違いない。