折々の記 13

  里 山



 夏、山の緑が膨らんでいる。山の緑は木々の色である。木々は葉を茂らせながら湧きだすように伸び上がり、家々を見下ろしてくる。 わずかにある畑や田んぼの畦畔は草の緑で覆われている。草はヒルガオやアレチノギクなどがあり、みかんの樹にはヤブガラシが巻きついている。いずれこの草たちも木々の茂りによって陽が遮られ、住み家を失なうにちがいない。

   人はこれまで自然に手を加えて畑をつくり田んぼをつくって家を建ててきた。 家のまわりの木々を切って風とおりを良くし、日差しも入るようにした。湧き水をひいた水路や畑もあって、林の中には行き来する道もある。里山とはこうした環境を指している。
   これを見て都会の人たちは自然がすばらしいという。ただ、放置されたまったくの自然ではなく、人が暮らせるように手を加えた里山を自然と呼んでいる。日々の管理の手を抜くとあっという間に草木に覆われてしまうのが里山であり、人と自然がせめぎ合うところ。いわば自然と人との緩衝地帯である。
   その里山から今、人が姿を消している。残っているのは年寄りだけである。 その年寄りたちもいずれは病院のある町へ移り、無人の家や畑などはたちまち緑に埋もれて姿を消してしまうだろう。こうした光景は田舎では増えている。
  もとの里山を取り戻そうとする活動もあるが、日々の生活によって守られてきただけに長続きはしない。もともと自然を切り開いてきた里山だけに自然に戻るのはやむを得ないだろう。でも、里山の暮らしで生まれた知恵だけでも日々の暮らしに活かせたらよいのだが。